優游自適

父母が浜の夕景
父母が浜の夕景

◇獨夜煎茗

◇喜寿述懐

◇緑陰讀書

◇芳華苑流觴曲水

◇暑日讀書

◇煎茗偶興

◇寒夜読書

 

◇秋夜偶吟

◇棲遅優游

◇楽閑適

閑適不覺苦熱

◇古稀

◇思辞職



獨夜煎茗ー独夜茗を煎るー

 今年の夏は記録的な暑さで、十月初旬まで真夏日が続きました。十月も二週目になると、夏の暑さが漸く後退して秋の気配が漂うようになりました。しかし急に寒くなったので、昨日までのクーラーを急いで暖房に切り替えなければなりませんでした。

 十月三日には暑さを逃れるために、中央アルプスの標高2,600mの駒ケ岳千畳敷カールに登りました。高低差950mを一気に吊り上げるロープウェイに乗って千畳敷駅に到着し、遊歩道を散策しながら早い紅葉を楽しみました。南アルプス越しに富士山の頂上が覗いていましたが、まだ冠雪していませんでした。ホテルの夜はさすがに寒く、温かいお茶を飲んで体を温めました。

雨後幽庭秋気清 雨後(うご)(ゆう)(てい) 秋気(しゅうき)(きよ)

聞蟲語夜寒生 (そぞ)ろに虫語(ちゅうご)()けば 夜寒(やかん)(しょう)

炉邊獨坐煎芳茗 炉辺(ろへん)(ひと)()芳茗(ほうめい)()れば

一縷茶煙繞鬢輕 一縷(いちる)(ちゃ)(えん) (びん)(めぐ)りて(かる)                                                    令和五年十月  光琇

意約 雨上がりのひっそりした庭は、秋の気配がすがすがしい。何とはなしに虫の声を聞いていると、夜になり寒さを感じる。そこで炉端で茶でも飲もうと思い、一人で茶葉を煎じると、沸き上がった湯気がゆらゆらと髪の毛の周りに立ち上るのであった。



喜寿述懐

 私の新入社員時代の上司は、普段は外回りをしているのですが、会社に戻ると、仕事ができていないことを荒っぽい言葉で𠮟責し、今まで何をしていたかを細かく報告させました。新入社員なので、いきなり仕事ができるわけがありません。今でいうパワハラですね。そんなわけで、20代のころは遅くまでよく働かされました。30代のころからは、お客さんに対する責任感が芽生えて、これまた土日も含めてよく仕事をしました。何といっても現役時代で一番忙しかったのは、阪神淡路大震災が発生し、復興業務に従事した時です。家では「本当に仕事なのか」と疑われる始末でした。

 今は引退して、優雅な年金生活を送っています。仕事もせずに暮らしていける毎日を不思議に思うことがありますが、子供たちは「昔よく働いたからいいんじゃない」と、私に代わって言い訳をしてくれます。

弊衣蓬髪壮年時 弊衣(へいい) 蓬髪(ほうはつ) 壮年(そうねん)(とき)

忙裏怱匆歳月移 (ぼう)() (そう)々として 歳月(さいげつ)(うつ)

寸志無成頭已白 寸志(すんし) ()() (かしら) (すで)(しろ)

如今閑適恣棲遅 (じょ)(こん) 閑適(かんてき)にして 棲遅(せいち)(ほしいまま)にす

(註一) 弊衣蓬髪=いたんで破れた衣服・乱れた髪、なりふ

                        り構わないこと

(註二) 棲遅=のんびり暮らす、また引退する

                                       令和五年五月  光琇


意訳 私の壮年期は、なりふりかまわず頑張ったものだ。多忙な日々が続き年月だけがあわただしく過ぎていった。ささやかな志さえも達成することなく已に白髪になってしまったが、今はゆったりとした時間の中で引退生活を勝手気ままに楽しんでいる。


緑陰讀書

 大阪に、水際に柳の木が生い茂るところがあります。その場所を想定し、新緑の季節に木陰で本を読んでいて、つい夢中になって夕暮れ時まで過ごしてしまった、としてみました。結句は当初、永井荷風の「墨上春遊」の起句をそのままいただき、「黄昏転覚薄寒加」としていましたが、何となく転句とのつながりが悪いので、平凡ですが今の句にしました。

池塘風定水如紗 池塘(ちとう) (かぜ)(さだ)まりて (みず) (しゃ)(ごと)

萬樹青青分外嘉 万樹(ばんじゅ) (せい)分外(ぶんがい)()

獨坐緑陰繙典籍 (ひと)緑陰(りょくいん)()して 典籍(てんせき)(ひもと)けば

閑人不覺夕陽斜 閑人(かんじん)(おぼ)えず 夕陽(ゆうよう)(なな)めなるを

(註) 典籍=古い貴重な書物、古典

              令和五年四月  光琇


意訳 池のつつみは風が収まり、水面は薄衣のように清らかだ。すべての木々は青々として、ことのほか良い雰囲気だ。ひとり木陰に座って夢中になって古典を読んでいると、暇な私は、すでに日が西に傾き夕暮れ時になっているのに気づかなかった。


芳華苑流觴曲水

苔徑斜通華苑頭 苔径(たいけい) (ななめ)(つう)()(えん)(ほとり)

騒人列坐對清流 騒人(そうじん) 列坐(れつざ)清流(せいりゅう)(たい)

胡弓奏裏把觴詠 胡弓(こきゅう) (そう)()(さかずき)()って(えい)

髣髴蘭亭歌宴秋 髣髴(ほうふつ)たり 蘭亭(らんてい) ()(えん)(あき)

(註一) 芳華苑=流觴曲水が催された諸橋轍次記念館の和庭園

(註二) 騒人=多感な詩人や文人

(註三) 蘭亭=書の聖人と言われる王羲之が開催した歌宴の場所

             令和四年十一月  光琇

・第十五回諸橋轍次博士記念漢詩大会二〇二三 秀作作品

意訳 苔むした小道が斜めに通じている芳華苑のほとりで、詩人たちは清流に対して並んで座っている。胡弓が演奏される中、流れてきた杯を口にして即席の句を詠じるのである。その様子は、初めてこのような宴が催された、紹興の蘭亭の秋を髣髴させるものであった。


 111213日に、第14回諸橋轍次博士記念漢詩大会が新潟県三条市の諸橋轍次記念館で開催されました。日本を代表する漢学者である諸橋轍次博士(1883-1982年)は、「大漢和辞典」13巻を編纂し、これは世界的な偉業として讃えられています。また、東京文理科学大学教授や静嘉堂文庫長を歴任するなど、学会や教育界に多大な貢献をされました。博士の座右の銘は、論語の「行不由徑(行くに徑に由らず)」で、この言葉の通り、小道によらずに、学問と教育の大道をひたむきに歩まれました。

12日の午前に記念講演会、夜に漢詩愛好者の集い(宴会)があり、13日の午前中には、表彰式と流觴曲水の宴がありました。表彰式は、全日本漢詩連盟会長、三条市長を始め、環境大臣政務官や県の議員など列席の下で行われ、私は拙作「對月懐晁卿」が入賞しました。その後の流觴曲水の宴は記念館の庭園の中の芳華苑で行われました。宴では、参加者各人に韻字(今回は支韻)が与えられ、以下の手順で行われる予定でしたが、感染症がまだ収まっていないため、杯の使用はありませんでした。①流れてくる杯の一杯目を飲む、②柏陵体聯句の一句を考える、③流れてくる杯の二杯目を飲む、④短冊に句と名前を書く、⑤発表する。

なお、流觴曲水の宴は、353年に東晋時代の書道の聖人と称される王羲之が紹興にある蘭亭で始めたといわれています。33日に名士41人を集めて開催した歌宴です。蘭亭は、当時の状況を髣髴するかのように、風雅な庭園が再現されています。


暑日讀書

暑日繙書一草堂 (しょ)(じつ) (しょ)(ひもと) (いち)草堂(そうどう)

縄牀忽入黒甜郷 (じょう)(しょう) (たちま)黒甜(こくてん)(きょう)()

夢乎非夢化蝴蝶 (ゆめ)(ゆめ)(あら)ざるか ()(ちょう)()

午睡醒来欲夕陽 午睡(ごすい) ()(きた)れば 夕陽(せきよう)ならんと(ほっ)

(註) 黒甜郷=昼寝の世界

                 令和四年七月  光琇

意訳 夏の暑い日、本を読もうとして我が家の腰掛で寝ころんだところ、ついうとうとと昼寝をしてしまった。夢か夢でないのかよくわからないまま蝶になって飛び回り、夢から覚めると、ずいぶん眠ったようで、已に夕刻になろうとしていた。

 夏の暑い日に読書を始めても、すぐに眠くなってしまいます。私は眠ると必ず夢をみます。この詩では、荘周の夢のように蝶になって飛び回っています。中国の故事では、戦国時代、壮子が夢の中で蝶になって楽しみ、自分が蝶になったのか蝶が自分になったのかわからなくなったようです。

 承句に出てくる「黒甜郷」は、中国の北方の方言で「昼寝の世界」という意味です。夏目漱石の「吾輩は猫である」では、この言葉が以下のように使われています。かつてここまで登ってきて、どこをどう見廻しても、耳をどう振っても蝉気がないので、出直すのも面倒だからしばらく休息しようと叉の上に陣取って第二の機会を待ち合わせていたら、いつの間にか眠くなって、つい黒甜郷裡に遊んだ。以下略



煎茗偶興

以前は、朝早く起床して散歩してから朝食をとっていたのですが、睡眠不足になると力が落ちて疫病に感染したときの発病・重症化リスクが高まるので、最近はゆっくり起床しています。それでも早く目覚めることがあるので、身も心もしゃきっとさせるために、コーヒー豆を擦り紙ドリップでたてて飲みます。

健康保持のために乳製品を断っているので、薄目にしてブラックで飲んでいます。なお、漢詩でコーヒーはしっくりこないので、コーヒーを茶に置き換えました。

暁起汲泉新茗煎 暁起(ぎょうき) (いずみ)()んで新茗(しんめい)()

幽香馥郁瓦前 (ゆう)(こう)馥郁(ふくいく)たり 瓦鐺(ごそう)(まえ)

松風滿耳動詩興 松風(しょうふう)(みみ)()ちて 詩興(しきょう)(うご)

句就閑吟気似仙 ()()閑吟(かんぎん)すれば ()(せん)()たり

              令和三年六月  光琇


意訳 朝早く目覚めたので水を汲んで新茶をたてると、幽かなよい香りが茶釜の前に広がった。庭先でしきりに松風の音がして詩を作ってみる気になり、その詩を口ずさむと、俗世間を離れた仙人のように気持ちになってきた。


寒夜読書


秋夜偶吟

70年があっという間に過ぎ、りっぱな老人になってしまいましたが、毎日元気に過ごしています。「日本人の平均寿命はどんどん長くなっており、人生100年時代と言われています。先日「人生100年時代の生きがいと幸福の哲学」というお話を伺ったので、その一部を紹介しておきます。

高齢期の人生を不幸にする要素は、健康、経済(お金)、孤独の3Kだそうです。健康に関しては、自律的にやっていける健康寿命が大事であり、現在の日本人のそれは平均72歳です。また、体の健康だけではなく心の健康と社会的健康も重要であるため、高齢者は社会との接触を欠かしてはいけません。お金に関しては、働ける機会があれば働いたほうが本人のためにいいし、若い人の負担軽減にもつながります。孤独に関しては、一人暮らしの高齢者は2005年に386万人であったのが、2035年には762万人に倍増する見通しであり、悩ましい問題となっています。

絲絲霖雨夜窗幽 絲絲(しし)たる霖雨(りんう) ()(そう)(ゆう)たり

獨把觴杯欲拂愁 (ひと)(しょう)(はい)()(うれ)いを(はら)わんと(ほっ)

七秩隙駒人未老 七秩(ななちつ)(げき)() (ひと)(いま)()いず

殘生幾許楽優游 (ざん)(ねん)幾許(いくばく)優游(ゆうゆう)(たの)しまん

(註一) 七秩=七十年、七十歳

(註二) 隙駒=月日の過ぎ去ることがはやいことのたとえ

           令和元年九月   光琇

意訳 細かい長雨でかすんだ夜の窓の外を眺めながら、一人で酒を酌んで愁いを紛らわしている。70年という月日はあっという間に過ぎてしまったが、まだまだ元気なのでくよくよしていても始まらない。残り少ない人生がどれだけ残っているのかわからないが、優游自適の生活を日々楽しむことにしよう。



棲遅優游

 2年前に70歳で退職し、124時間全部が自分のものになりました。人生の残された時間がどれぐらいあるかわかりませんが、今までできなかったことにチャレンジしてボケ防止に努めています。漢詩の作詩以外に、教養として琴棋書画を少しかじってみたいと思っています。

琴は音楽をさし、先日からシルバーピアノ教室に通っています。孫と連弾できるようになることが目標です。棋は囲碁・将棋のことで、下手な囲碁は時々仲間内で楽しんでいます。書は悪筆が少しでもましになるように、ペン字教室で指導を受けています。画については今更絵を描くことは無理なので、仲間とあちこちに出かけてきれいな写真を撮っています。これらの活動を通して、仲間が増えるのも楽しいものです。

春曉窗前聽晩鶯 (しゅん)(ぎょう) 窓前(そうぜん)(ばん)(おう)()

老夫閑坐養幽情 老夫(ろうふ)閑坐(かんざ)(ゆう)(じょう)(やしな)

身雖落拓猶多夢 ()(らく)(たく)(いえど)(なお)(ゆめ)(おお)

思遶峰巓心自輕 (おもい)峰巓(ほうてん)(めぐ)(こころ)(おの)ずから(かる)

(註一) 棲遅=引退する

(註二) 落拓=落ちぶれてわびしい

           平成三十年四月  光琇


意訳 春の暁に、窓の前で聞きなれた鶯の鳴き声が聞こえる。年寄りの私は、しずかに座って趣の深い思いに浸っている。すっかり落ちぶれてしまったがまだ夢多く、思いは山の頂をめぐるようで心も軽い。


楽閑適

昔日紅顔追利名 昔日(せきじつ) 紅顔(こうがん)()(めい)()

壮年悟得志難成 壮年(そうねん) (さと)()たり (こころざし)()(がた)しを

如今落拓恣閑適 (じょ)(こん) 落拓(らくたく)閑適(かんてき)(ほしいまま)にす

身似浮雲心亦 ()浮雲(ふうん)()(こころ)(また)(かろ)

(註) 落拓=おちぶれる

           平成二十九年九月  光琇

 以前に雑誌で読んだ、某上場会社の若い社長の言葉が記憶に残っています。この社長は、新入社員にVSOPの訓話をしているとのことです。20歳代はVitalityを持って働きなさい、30歳代はSpecialityを磨きなさい、40歳代はOriginalityを持ちなさい、50歳代はPersonalityを大切にしなさいという意味だったと思います。私はすでに70歳代に突入してしまいましたが、振り返ってみると概ねこのVSOPにそって生きてきたような気がします。

自分の人生を、2030歳代、4050歳代、6070歳代、8090歳代に大くくりすると、起・承・転・結がぴったりくるような気がします。私は転すなわち退職して閑適生活に入っており、46年間働いてきたご褒美に毎日楽しい生活を送っています。次の結は終活期です。


意訳 若いころは利益や名誉を追ったものだが、壮年になって志はそう安々と達成できないことがわかった。今では落ちぶれて暇な時間を自由気ままに使っている。この体は浮雲のようにふわふわしており、心も同じように軽い。


閑適不覺苦熱

旱天連日暑如 旱天(かんてん)連日(れんじつ) (しょ)(あぶ)るが(ごと)

緑樹無陰堕甑中 緑樹(りょくじゅ)(かげ)()甑中(そうちゅう)()

幸是棲遅得閑適 (さいわ)いにして(これ)棲遅(せいち) 閑適(かんてき)()たり

垂簾午夢臥涼風 (すだれ)()れて午夢(ごむ) 涼風(りょうふう)()

(註一) 旱天=ひでりの天候

(註二) 棲遅=引退すること

           平成二十八年八月  光琇


今年の夏は猛暑日が続いています。せめて夕立でも降ってくれればと願っていますが、そんなささやかな願いもかないません。昔は、庭に水を撒いて夕方に外で涼みましたが、今は水を撒くとかえって蒸し暑くなるくらいです。地球温暖化が確実に進んでいるようです。

 5月に70歳になり、7月末に46年間勤めた会社を完全退職しました。退職後はゴルフ三昧を想定していましたが、この暑さの中では熱中症になってしまいます。仕方なく、クーラーの部屋でダラダラして退職生活を楽しんでいます。学生時代以来の自由な生活です。しかしそんな状態が続くと、家内に粗大ごみ扱いをされかねないので、涼しくなったら、写真撮影や写真編集を習いに行き、このHPにきれいな写真を載せたいと思っています。

意訳 日照りの日が続き、あぶるような暑さだ。真上から日が差すので木陰もできない。しかし、幸いにして引退の身なので、すだれを垂れて昼寝をして涼しい風の中にいることができる。


古稀

 5月の誕生日に孫から「おじいちゃん、古稀おめでとう」という電話がありました。まだ69歳だったので古稀は来年と思っていたのですが、数え年70歳のお祝いなのですね。小学生になったばかりの孫にそんなことを教えられるのも情けない話ですが、それはともかくとして、その日は家族集まって夕食会となりました。

 古稀という言葉は、盛唐の詩人杜甫の「曲江」という七言律詩の第四句「人生七十古来稀(人生七十古来稀(まれ)なり)」に由来しています。この詩では、「70歳まで生きることはないのだから、今のうちに借金をしてでもお酒を飲んで人生を謳歌しよう」と言っているのです。盛唐の時代には、70歳まで生きる人はめったにいなかったのでしょう、杜甫も770年に59歳で病没しています。ところが今は平均寿命が延びたため、古稀になってもあと10年残っています。はたして楽しい余生(残燭)が待っているのでしょうか。

人生七十夢中過 人生(じんせい)七十(しちじゅう) 夢中(むちゅう)()

老骨餘年知幾何 老骨(ろうこつ)()(ねん) ()んぬ(いく)(ばく)

壯志難成空逝水 (そう)()()(がた)(むな)しく(せい)(すい)

樽前憶昔獨吟哦 樽前(そうぜん) (むかし)(おも) (ひと)吟哦(ぎんが)

 (註) 壮志=望みの大きい志

               平成二十七年六月  光琇

意訳 70年の人生が夢のように過ぎ、この老人の余生がどれくらいあるのか知りたいものだ。望みが叶えられないまま空しく年月が流れていった。酒を飲んで昔を思い出しながら一人で詩でも吟じることにしよう。



思辞職

第一線を退く時の心境です。大学卒業以来40年以上ひとつの会社でお世話になり、最後は経営に参画する機会にも恵まれました。以前、あるビジネス誌に「企業の寿命は30年」という特集があったのを記憶しています。浮沈の激しい業界にあって、私の入社以前の期間も含めると、この寿命を上回る70年間会社が存続してきました。諸先輩や現役社員の並々ならぬ頑張りが会社を支えてきたということです。

 私自身は、会社という舞台を与えられたにもかかわらず、何を達成できたのかよくわからないまま第一線を退くことになりました。しかし後輩たちにあっては、この舞台で大いに自己実現にチャレンジしてもらいたいと思います。

 引退となると、昔のことが次から次へと脳裏をよぎりますが、「過去を肥やしとして前進あるのみ」と思わないと老け込んでしまいます。

四十餘年役此身 四十(しじゅう)()(ねん) ()()(えき)

不嫌労苦對風塵 労苦(ろうく)(いと)わず 風塵(ふうじん)(たい)

青雲路遠棲遅季 青雲(せいうん)(みち)(とお)棲遅(せいち)(とき)

往時茫茫感更新 往時(おうじ)(ぼう)(かん)(さら)(あら)たなり

(註) 棲遅=のんびり休む、安らかに暮らす、引退する

平成二十六年四月  光琇



意訳 四十有余年この身を会社に捧げ、苦労をいとわずにいろんな仕事に取り組んできた。星雲の志をもってやってきたが、なかなか思うようにいかないまま引退となってしまった。当時のことを思い出すと気持ちがさらに新たになる。