◇談山神社
◇観月讃仏会
◇春日大社
◇歳除拝住吉大社
◇箕面勝尾寺
◇長谷寺牡丹
◇長谷寺避暑
◇興福寺五重塔
◇晩春長岳寺
談山(たんざん)神社は、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある神社です。神仏分離以前は多武峰妙楽寺という寺院であったそうです。私が訪れた時は紅葉の真っ盛りでしたが、桜の名所としても知られています。
その昔、蹴鞠会(けまりえ)で知り合った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りのころ、この神社の裏山で極秘の談合をしたそうです。その談合は、蘇我入鹿を討って統一国家を樹立するというもので、645年に大化改新という形で結実しました。社号である談山神社は、大化改新談合の地に由来しています。
意訳 霊峰(多武峰)は静かでひっそりとしていて白雲が流れている。その中腹にある(談山神社の)堂塔はどっしりとして、周りには紅葉が茂っている。思えば昔、ここで(中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を討つための)策略を話し合ったのだ。そんなことを考えながら、史跡を探り丘の上に立つのであった。
多くの苦難の後に来日を果たした鑑真和上が、759年に戒律を学ぶ人たちのための修業の道場を開いたのが奈良西ノ京の唐招提寺です。中秋の名月の夜、この世界遺産の境内で観月讃仏会(かんげつさんぶつえ)が催されます。その夜は金堂が開扉され、ライトアップされた三尊が浮かび上がり、幻想的で荘厳な雰囲気を醸し出します。
私が唐招提寺を訪れた中秋の名月の夜は、残念ながら曇り空で、月がなかなか顔を出してくれませんでした。ライトアップされた三尊を拝みながら待つこと1時間、やっと雲の隙間からわずかに満月が顔を出した時には、拝観者からどよめきが起こりました。
中秋佳節訪西京 中秋の佳節 西京を訪えば
古刹蕭條滿月迎 古刹 蕭条として 満月迎う
三佛荘嚴浮燭影 三仏は荘厳にして 燭影に浮かび
低頭合掌道心生 頭を低れて合掌すれば 道心生ず
(註一) 観月讃仏会=奈良市西ノ京の唐招提寺における中秋の名月の夜の催し
(註二) 三佛=金堂の盧舎那仏坐像、薬師如来立像、 千手観音菩薩立像
令和五年九月 光琇
意訳 中秋のよき日に奈良の西ノ京を訪れると、古刹(唐招提寺)はひっそりとした様子で秋空に満月を迎えようとしている。廬舎那仏座像等の三仏は荘厳なお姿で、蝋燭の光に浮かんでいるように見える。その前で頭を垂れて合掌すると、何となく仏道を信ずる心持になるのであった。
春日大社は、近鉄奈良駅から東方、奈良公園を通って森の中を抜け、約20~30分歩いた神山・三笠山(春日山)のふもとにあります。奈良時代の768年、称徳天皇の勅命により本殿が造営されました。現在、国家・国民の平和と繁栄を祈る祭りが年間2200回以上催されています。その中でも、3月13日の春日祭は1200年以上続いており、宮中より天皇のご代理である勅使が参向され、御祭文が奉上されます。20年に一度、御社殿を美しく造り替える「式年造替」が行われ、これまでに60回を数えています。60回を超えるのは、伊勢神宮と春日大社のみです。神山を含む約30万坪の春日大社は世界遺産にも指定され、全国およそ3000社の春日神社の総本社です。
境内には、平安時代より奉納の始まった約3000基の常夜燈が参道の両横に並んでいます。燈籠には毎晩火が入り、その揺らめく明かりで幽玄の世界が広がります。参道を抜けると、朱に塗られた本殿に到ります。
南都山麓鹿呦呦 南都の山麓 鹿呦呦たり
神域無塵老樹稠 神域は塵無く 老樹稠し
燈燭三千苔蘚径 灯燭三千 苔蘚の径
朱祠閑寂暮煙浮 朱祠は閑寂 暮煙浮かぶ
(註) 南都=北方の京都に対して南方の奈良
令和三年九月 光琇
意訳 古都奈良の春日山の山麓では、鹿がむせび泣くような声を出している。大社の境内は穢れがなく、原生林が生い茂っている。そこを抜けると苔むした小道があり、両側に常夜灯が3千基連なり、その奥に朱塗りの本殿がひっそりと夕もやに包まれているのが見える。
凄涼大社度松風 凄涼たる大社 松風度り
奇絶弧橋映水紅 奇絶の弧橋 水に映じて紅なり
招福除災神事儼 招福除災の神事儼たり
篝燈明滅夜陰中 篝灯明滅す 夜陰の中
(註一)歳除=おおみそか
(註二)篝灯=かがりび
令和元年十二月 光琇
住吉大社は、大阪市住吉区にあり、難波から南海電車でアクセスできます。お急ぎでない方は、天王寺駅前か恵美須町駅から大阪で唯一の路面電車である阪堺電車でも行けます。入り口の朱色の太鼓橋は、お年寄りが渡るのはちょっとしんどいかもしれませんが、住吉大社のシンボルになっています。
この大社は全国約2300余の住吉神社の総本山であり、正月三が日の初詣参拝客数は200万人を超えると言われています。また、大晦日の夜になると、一年の幸福を祈願する人でいっぱいになり、零時の太鼓が打ち鳴らされると、一斉に参拝の拍手が起こります。
意訳 静寂な住吉大社の松の木に冬の風が吹いている。そんな中、変わった形をした紅の太鼓橋が水に映えて美しい。その橋の向こう側では、福を招き災いを退けるという神事が、かがり火が点滅する夜の闇の中で厳粛に行われている。
翠溪羊腸入深山 翠渓の羊腸 深山に入れば
古刹清幽一境閑 古刹 清幽 一境閑なり
盎盎清泉楓樹影 盎盎たる清泉に 楓樹の影
寒風揺漾是仙寰 寒風に揺漾 是れ仙寰
(註一) 羊腸=羊の腸の意から、まがりくねったもののたとえ
(註二) 盎盎=水が満ち溢れるさま
(註三) 仙寰=仙人の世界
平成三十年十二月 光琇
意訳 緑に包まれた曲がりくねった谷川沿いの小道を登り、深い山中に入る。すると、古いお寺が俗世間を離れてひっそりとした環境の中に建っている。水が満ち溢れる清らかな滝つぼの横には楓の枝が覆いかぶさっており、木の葉がゆらゆら揺れて、まるで仙人の世界に入ったようだ。
勝尾寺は大阪府箕面市にある古刹です。北部の山間部にあるので、大阪府一帯が一望できます。1300年前の8世紀創建のとても古いお寺です。仏法の力は時の朝廷の権力も及ばないということで、当初は「勝王寺」と号され、後に王が尾に変わりました。読み方は「かつおうじ」のままですが、「かつおじ」と読んでも間違いではありません。
写真仲間と訪れた時は、ちょうど紅葉が真っ盛りで色とりどりの秋景色を堪能することができました。朱色の本堂も荘厳ですが、入り口を入ったところに大きな池があり、そこに写りこむ紅葉がきれいで、思わずシャッターを切りました。
長谷寺は奈良県桜井市にあり、西国三十三所観音霊場の第八番札所で、真言宗豊山(ぶざん)派総本山の寺です。初瀬山の山麓から中腹にかけて伽藍が広がっており、中腹にある本堂までは長い登廊を上がっていきます。本堂には舞台があり、そこから五重塔を望むことができます(写真)。創建は奈良時代、8世紀前半と推定されています。
初瀬山は牡丹の名所で、訪れた時には境内には色とりどりの牡丹が咲き誇っていました。6月の紫陽花も見事で、古くから「花の御寺」という別称があるぐらいです。
和州古刹上回廊 和州の古刹 回廊を上れば
堂塔伽藍対彼蒼 堂塔 伽藍 彼蒼に対す
淡紫牡丹如夢裏 淡紫の牡丹 夢裏の如く
競誇妖艶燦春光 競いて妖艶を誇り 春光に燦たり
平成三十年五月 光琇
意訳 大和の国(奈良県)の古刹である長谷寺の回廊を上ると、堂塔と伽藍が青空に向かって建っている。そこは、淡い紫色のアジサイがなまめかしさを競うように春の光に輝いており、まるで夢の中の世界のようである。
長谷寺は奈良県桜井市にあり、真言宗豊山派の総本山としてまた西国三十三所第八番札所として、多くの人々の信仰を集めています。また、花の御寺としても有名で、アジサイ、ボタン、オオムラサキツツジ、シャクナゲ、オオデマリ、ハナミズキ、フジ、ヤマブキなど、四季の花を楽しめます。紀貫之の歌「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の舞台にもなっており、その歌碑もあります。
近鉄鶴橋駅から大阪線に一時間乗り、さらに降りてから三十分歩いて紫陽花が咲き誇る長谷寺に着きました。長谷寺は山腹に建物が散在しており、最上部にある本堂まで、399段ある階段の廊下を何度も休みながら登り切りました。本堂には南向きの舞台があり、そこから俯瞰すると、下の景色と五重塔などが見張らせます。
石磴攀来到本堂 石磴 攀じ来り 本堂に至れば
紫陽花發吐清香 紫陽花発いて 清香を吐く
高臺俯瞰五重塔 高台に俯瞰す 五重塔
紫翠山中昼尚涼 紫翠の山中 昼尚涼し
(註一) 石磴=石段、石畳の坂道
(註二) 紫翠=美しい山肌の紫色や緑色
平成二十八年七月 光琇
意訳 石畳を何段も上って一番上の本堂に着くと、周りにはアジサイの花が開いて清らかな香りを発している。少し離れた高台には五重塔が建っている。美しい木々に包まれた長谷寺の立地する山中は、昼間でも涼しい空気が流れている。
南都勝概碧池頭 南都の勝概 碧池の頭
細柳低垂往事悠 細柳低く垂れ 往事遥かなり
青史留蹤神鹿戯 青史の蹤を留め 神鹿戯る
千年名刹五重樓 千年の名刹 五重の楼
(註) 青史=興福寺の五重塔は、明治初期の廃仏毀釈の対象となり、民間に売り渡されたうえ、危うく解体処理されそうになったという史実
平成二十六年九月 光琇
意訳 古都奈良のすぐれた景観を形成している猿沢池のほとりには、柳が低く垂れており、廃仏毀釈の史実が思い出される。そんな歴史をひめた建物の周りには神の使いである鹿が戯れており、五重塔はまさに千年の名刹である。
以前は奈良公園の中に興福寺があると思っていたのですが、興福寺の広大な境内が奈良公園になったというのが正しいようです。藤原不比等(ふひと)の創建(710年)といわれる興福寺は、藤原氏の庇護のもと、それほど大きな勢力を誇っていたわけですが、明治の初期に危機を迎えます。廃仏毀釈で興福寺は取り壊しの対象となり、五重塔も二束三文で売りに出されました。買い手が五重塔の金具類を取り出すために焼こうとして、近所の反対で取りやめたという話が残っています。
私が子供のころ、戦後処理のために奈良市に駐留していた米軍の通訳をしていた父親に、猿沢池や五重塔に何回か連れて行ってもらいました。学生時代にも、通学ルート上にあったのでよく立ち寄りました。猿沢池、五重塔、公園、鹿、みんな昔のままの姿です。
長岳寺は奈良県天理市にあり、824年に淳和天皇の勅願により弘法大師が創建したといわれる古いお寺です。日本最古の玉眼仏阿弥陀三尊像や、鐘楼門(写真)などの重要文化財を有しています。
長岳寺を尋ねたのは5月のゴールデン・ウィークでした。近鉄の天理駅で自転車を借りて、ひたすら「山の辺の道」を桜井方面に向けて南下し、その途中で長岳寺に立ち寄りました。以前から、一度「山の辺の道」を尋ねてみたいと思っていました。曲がりくねった地道で結構坂もあり、歩いたほうが楽だったかもしれません。長岳寺ではヒラドツツジが咲き誇り、静かな境内には鶯の声だけが鳴り響いていました。名物の三輪そうめんをいただき、その後大神(おおみわ)神社に立ち寄って近鉄桜井駅で自転車を返しました。
意訳 曲がりくねった小道は山肌をめぐって草原に連なっており、その道を進んでいくと、ポツンと建っている古刹長岳寺の大きな楼門に至った。木々の生い茂った寺の庭は世間の喧騒から隔絶されているため、晩春になく鶯の声だけがかまびすしく耳に響く。