トップ


雪中探梅をアップしました。

能登半島地震有感をアップしました。

新春自贈をアップしました。

保津峡をアップしました。

歳旦自贈をアップしました。


思い出や感動を漢詩に

旅の思い出や感動を漢詩にして、それをアルバムのように残していけたら素敵だと思いませんか。作詩のルールを知れば漢詩作りはそれほど難しくありません。ただし、良い詩を作るには最低でも10年かかると言われています。

 私は20118月から突然漢詩作りを始めました。漢詩との出会いは高校の授業以来で、前期高齢者の入り口で漢詩作りを始めるというのは全く想定外の出来事です。さらに想定外ついでに、恥を忍んでホームページで拙作を披露することにいたしました。

 駄作ばかりですが「私にもできそう」と思って もらうことにより、絶滅危惧種といわれる漢詩作り人種が少しでも増えることを願っています。

 

 このホームページの水彩画は、使用権フリーの「スゴネタイラスト・パック四季の水彩」(グラパックジャパン社)の素材を使っています。

 この書は、東北の復旧・復興を願う私の2作目の詩を妻が書いてくれたものです 

 雲影風来臨海低 雲影風来 海に臨みて低(た)れ

 波平鴎舞爪痕凄 波平らかにして鴎舞うも 爪痕凄まじ

 仰天憂憤無情理 天を仰ぎて憂憤す 情理の無きを

 衆志成城再築堤 衆志成城 再び堤を築かん

         注)衆志成城=一致団結すればどんな困難も克服で

          きるた とえ




きっかけ

2011年の春ごろに、近所の集会所でいっしょに中国語を習っていた生徒さん(といっても当時で70歳前後)が、大阪梅田の漢詩教室に月1回通っているということで、その教室へのお誘いがありました。その生徒さん作の漢詩を見せてもらい、「えっ、こんなの自分で作れるの、かっこいいな」と思い、「一度だけ付き合ってみてもいいか」ということで5月の漢詩教室に同行させてもらったのが漢詩作りとの出会いです。

 


作詩のルールを教わる

  当日の教室が始まる前に、先生が私のために特別に時間を割いて、漢詩の作り方(作法)を教えてくださいました。それまでは文字数と押韻ぐらいしか知らなかったのですが、平仄などのルールを直接先生から教わり、いろんなルールのあることをその時初めて知りました。

 しかし考えてみると、ゲームでもスポーツでもすべてルールがあり、その制約の中で様々な戦略・戦術が展開されることになります。たとえば、ルールが極めてシンプルな囲碁の場合、縛りが緩いだけに自由度が高く、初心者はどこに打っていいかさっぱりわかりません。それに対し、駒ごとに動かし方が決まっている将棋のほうが囲碁よりもとっつきやすいといえます。これを漢詩作りに敷衍(ふえん)して、「縛りがきついほうがとっつきやすい」と自分に言い聞かせて、教室に参加させてもらいました。


何とかなるのでは

 漢詩教室では、各自が自分の詩稿を持ち寄って意見交換されていました。しかし、皆さんの議論はさっぱりわからず、「場違いなところに来た」というのが第一印象でした。しかしその後、先生などからお借りした入門書を読むと、付録の詩語集から詩語を借用することにより、誰でも(?)漢詩作りの真似事ができるようになっていました。もちろん、形式を整えたからといって詩になるわけではありませんが、見たこと感じたことを、詩語を借用しながら漢詩らしきものにしていくうちに「何とかなるのではないか」、と楽観的に考えることにしました。

 6月の教室で、5月に初参加した時の感想文を提出したところ、先生から「起承転結ができている」と言われました。ちなみに絶句では、第一句、第二句、第三句、第四句をそれぞれ起句、承句、転句、結句といい、起承転結で詩を構成することになっています。 


月二首のペースで作詩

 教室で皆さんの議論を聞いているだけでは面白くないので、「まだ早い」と言われるのを覚悟の上で、8月の教室に向けて作詩に挑みました。以前に伊豆の旧天城トンネルを視察した時に歩いた天城路を思い出しながら、七言絶句で起承転結を組み立てました。この時の「天城路」が私の処女作です。9月には、東北の被災現場を視察した時の復旧・復興への想いを詩にしました(東北傷深)。その後も概ね月1首の作詩に努めましたが、残念ながらこの教室は通いだして半年後の2011年末に閉鎖され、その後運よく東大阪で別の先生にご指導いただくことになりました。そして今は、神戸の教室で月2首のペースで詩稿を提出して講評をいただいています。また、私が講評することもあります。

 作詩を初めて1年目の詩が、突然、韮崎市で開催された国民文化祭・やまなし2013で秀作賞をいただきました。「彦根城玄宮園」という詩です。作詩を始めてすぐの受賞だったので、軽いものだと思ったのですが、それは大間違いで単なるビギナース・ラックでした。しかし、それから7年後に宮崎市で開催された国民文化祭・みやざき2020で「晩秋真如堂」が2度目の表彰を受け、その後もいくつかの詩が入賞しています。いくつになっても表彰されるのはうれしいもので励みになります。