愁思・辛苦

光明寺の石庭
光明寺の石庭

 ◇除夕悼亡友

◇苦熱

◇苦寒

 

◇団欒

◇烏克蘭兵思

◇晩秋遇成

◇嘆詩才乏

◇秋思

◇苦熱口占

◇晩春閑居

◇春夕獨酌

◇六甲晩秋有感

◇思梅天

 

 

 

 

 

 

 



除夕悼亡友-除夕亡友を悼むー

歳除索莫憶朋儔 歳除(さいじょ) 索莫(さくばく)として 朋儔(ほうちゅう)(おも)

不意登仙涕泗流 不意(ふい)登仙(とうせん) 涕泗(ていし)(なが)

對飲同遊空入夢 対飲(たいいん) 同遊(どうゆう) (むな)しく(ゆめ)()

鐘聲百八不堪愁 ()しょうせい 百八ひゃくはち うれいにえず

(註一) 朋儔=なかま、同輩、同僚

(註二) 登仙=天にのぼって仙人になること

(註三) 涕泗=なみだ

          令和五年十二月  光琇

 会社の同期入社組に戌年生まれが5人いました。犬が5匹なので、五犬会ということで、一緒に酒を飲んだりゴルフや囲碁をしてよく遊びました。五犬会というと、どうも五賢会と誤解する人がいたので、いやいや五献会ですと返答していました。良き遊び仲間であると同時にライバルだったので、50歳を過ぎたころから少しよそよそしくなったような気がします。

 会社のOBゴルフ会の幹事が、〇〇さんからゴルフ会出欠の返信がないので心配だ、と言っていて、その直後に彼のご家族から突然訃報が届きました。〇〇さんは五犬会のうちの一人です。去年の年末に家内の喪中で欠礼はがきを出した後に、彼から丁寧なお悔やみのハガキをもらいましたが、その彼が亡くなり何とも言えない気持ちです。ただ、彼の冥福を祈るしかありません。


意約 大みそかの夜、一人失意の中で会社で同僚であった友人のことを追憶した。不意に亡くなってしまい涙が流れてやまない。酒を飲み交わしたことや一緒に遊んだことが夢のように思い出される。除夜の鐘を聞くと、一層愁いが募る。


苦熱

灼熱廬夏日長 灼熱(しゃくねつ) (いおり)(あぶ)りて 夏日(かじつ)(なが)

浴餘裸體汗如漿 浴余(よくよ)裸体(らたい) (あせ) 漿(しょう)(ごと)

心頭滅却逃炎法 心頭(しんとう)滅却(めっきゃく) (えん)(のが)るるの(ほう)

趺坐窗前些得涼 (そう)(ぜん)()()(いささ)(りょう)()たり

(註) 漿=細長く糸を引いてたれる液、転じて飲み物

     の総称

             令和五年七月  光琇

意訳 灼けつくような熱がぼろ家をあぶり、夕刻になっても暑さがおさまらない。風呂あがりの裸体は、汗がたらたらと流れて止まらない。心頭を滅却するのが暑さから逃れる良い方法だと思い、窓の前で足を組んで座禅のまねごとをしてみたら、、少しだけ涼しくなったような気がした。

 夏の暑さは年々厳しくなり、台風による暴風雨も激しくなるなどして、毎年どこかで自然災害が発生しています。地球の温暖化と都市化が進んでいるのでしょうが、私は二酸化炭素等温室効果ガスの増加により温暖化が進んでいるというのは信じていません。因果が逆ではないかと思っているのです。すなわち、太陽活動の変化などによって地球には寒暖が何種類かの周期で起こっています。その周期の中で温暖な時期になると、清涼飲料水が温まると気が抜けてまずくなるように、海中の二酸化炭素が空中に放出されるのではないかと思っています。

 杜旬鶴の「夏日題悟空上人院詩」の転結句「安禅は必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」にあるように、心の持ちようと感覚とは密接に関係しています。しかし、暑いのを我慢しすぎると熱中症になってしまうので注意が必要です。

 

 



苦寒

子供たちはマンション住まいです。マンションは鉄筋コンクリートだからでしょうか、直接外気に触れる面が少ないからでしょうか、夏は涼しく冬は暖かいようです。朝起きた時の我が家の室温は1桁だというと、子供たちは驚きます。しかもガス・ストーブを入れても、なかなか室温が上がりません。ガス代がいつの間にか高くなったのも困ったものです。

 酒を飲むと確かに体が温まりますが、だからと言ってストーブが不要というわけにはいきません。春の来るのが待ち遠しいです。

暮雪晶晶忽滿枝 ()(せつ) (しょう)として (たちま)(えだ)()

狂風猟猟叫垣籬 狂風(きょうふう)(りょう)として 垣籬(えんり)(さけ)

堪嘆白屋寒無奈 (なげ)くに()えたり 白屋(はくおく)(かん)(いかん)ともする()しを

求暖樽中只把 (だん)樽中(そんちゅう)(もと)めて ()(さかずき)()

(註一) 晶晶=きらきらと光り輝くさま

(註二) 猟猟=強風の吹く音の形容

 令和五年一月  光琇


意訳 夕暮れに降った雪が枝いっぱいに積もってキラキラ輝き、風が狂ったように垣根のところで吹き荒れている。ボロ家なので寒いのはどうしようもないと耐え忍び、暖を樽の中に入っている酒に求めて、ただ杯を把るのであった。


団欒

 今年の5月、家内は2年半の乳がんとの闘病の末に亡くなりました。手術や抗がん剤治療など、厳しい治療をすべて受け入れましたが、その甲斐なく今年になって転移が見つかり、その後の投薬効果もなく、あっけなく逝ってしまいました。がんと闘わないほうがいい、との意見もありますが、悔いが残らないよう標準治療はすべて受けました。

彼女はデジタルを含めて何事にも積極的で、新しいことに対する好奇心も旺盛でした。また、ピアノ、書道、園芸などに熱心で、書道では今年に入ってから新しい教室に入り、フラフラになりながら条幅を仕上げて出品し、特選をもらっていました。また、春に野菜の種まきをし、その直後に入院して夏以降に収穫できました。しかし、それを生前に報告することはかないませんでした。

 子供や孫と一緒によく食事会をしました。食事会に限らず皆が集まると、いつも彼女が主役で場を盛り上げていました。暖かくなったら久しぶりに庭でバーベキューをしよう、と言っていたのですが、かなわぬ夢となりました。この詩は、今年の秋のバーベキュー・ガーデンで身内が集まった時ものですが、そんな場ではどうしても彼女の言動に話が及び、場がしんみりとしました。

山郭池亭會睦親 (さん)(かく)池亭(ちてい) (ぼく)(しん)(かい)

秋聲如舊淺紅新 秋声(しゅうせい) (きゅう)(ごと)(せん)(こう)(あら)たなり

歡談却覺恨無限 歓談(かんだん) (かえ)って(おぼ)(うら)(かぎ)()きを

今夕欒少一人 今夕(こんせき)団欒(だんらん) 一人(いちにん)()

(註) 睦親=親しい身内、近い親族のこと

              令和四年十月  光琇


意訳 山中の水辺のハウスに身内が集まった、。秋を感じさせる物音は以前と変わりなく、木の葉はもう色づき始めている。歓談をしていると、かえって残念な思いが込み上げてくる。というのは、今回の夕べの団欒の席に、一人(妻)を欠いているからだ。


烏克蘭兵思ーウクライナ兵の思いー

 2月にロシアのウクライナへの侵攻が始まり、長期戦の様相を呈してきました。。当初ロシアのプーチン大統領は、ウクライナのゼレンスキー大統領が国外逃亡し、すぐに決着がつくと思っていたようですが、どっこいゼ大統領が一歩も引かず、これに同調してウ国民も戦う姿勢をくずしていません。こんな中、プ大統領は核の使用をちらつかせるような、とんでも発言をしています。

ロ大統領は、ウ国のNATO加盟への懸念やウ国東部地域におけるロ系住民の開放を侵攻の口実にしていますが、適当な理屈を作って領土拡大を図りたいというのが本音でしょう。NATO諸国は戦う姿勢を鮮明にしているウ国の応援をしていますが、欧州は少し応援疲れをしています。米国はウ国支援を続けていますが、戦争を終わらせるよりも、戦争を長引かせて、ロ国を弱体化させることに目的がシフトしてきているとも言われています。

わが国の唯一の同盟国である米国の極東有事への対応について、他山の石にしなければならない教訓が2点あります。1点目は、日本が侵略された時に当事国である日本が戦う姿勢を見せない限り支援が得られないということです。2点目は、たとえ支援があったとしても、一緒に戦ってくれるわけではなく、戦うのは当事国だという事です。

突然侵略弾丸頻 突然(とつぜん)(しん)(りゃく) 弾丸(だんがん)(しきり)なり

地割家崩民愴神 ()()(いえ)(くず) (たみ) (しん)(いた)

六月烽火堪苦難 六月(ろくげつ)烽火(ほうか) 苦難(くなん)()えたり

他時退敵共芳醇 ()() (てき)退(しりぞ) 芳醇(ほうじゅん)(とも)

                      にせん

(註一) 烽火=兵乱・戦争のたとえ

(註二) 他時=いつの日にか

           令和四年九月 光琇

意訳 突然(ロシア)からの侵攻が始まり、銃弾やミサイルによる攻撃が頻繁になってきた。地が割れ家が崩れて民衆は心を痛めている。戦闘は六か月に及び、この間、苦難に堪え忍んで戦ってきた。いつの日にか敵を追っ払い、仲間と勝利の祝杯をあげたいものだ。



晩秋偶成

陽陰冷已深秋 斜陽(しゃよう) (かげ)(ひや)やかに (すで)(しん)(しゅう)

庭際紅楓坐惹愁 (てい)(さい)(こう)(ふう) (そぞろ)(うれ)いを()

一片幽懐向誰語 一片(いっぺん)(ゆう)(かい) (たれ)()かって(かた)らん

老鰥獨酌思悠悠 老鰥(ろうかん) (ひと)()んで (おも)(ゆう)

(註) 老鰥=男やもめ

 

令和四年九月  光琇

杜牧の詩にもあるように、紅葉は「霜葉は二月の花よりも紅なり」という華やかさの半面、もうすぐ散ってしまうという儚さも秘めています。晩秋の時期、紅葉のもつ派手さと儚さに日本人は心を惹かれるのかもしれません。

 湿っぽい詩になってしまいましたが、独居老人になってしまった今、晩酌で気を紛らすことが少し増えました。コロナの流行もあり友の訪問はないですが、それならこちらから訪ねていくというように、積極的に人との交流を求めていくことが必要なのでしょう。特に高齢者は。


意訳 夕陽による木陰もひんやりとした感じとなり、すでに晩秋となった。庭際の楓はきれいに紅葉しているのだが、何となく心が晴れない。こんな胸の内を誰に語ったらよいのだろうか。孤独な老人が独酌していると、とりとめもない愁いが込み上げてくる。


嘆詩才乏ー詩才の乏しきを嘆ずー

 今作詩を教わっている先生にご紹介いただいた、「石川忠久講話集・埋もれた詩傑河野鉄兜その洒落た風趣(前田隆弘編)」に「詩を論ずその二」という詩がありました。その詩は、「趺坐閉門春寂然、茶烟一榻落花天、冥捜旁引無余蘊、参透陳家曹洞禅」というものです。この転句についての石川先生の解説は、「暗いところから探し出してくる(冥捜)、脇の方からも引っ張ってくる(旁引)ということは、詩づくりにおいては確かに大事だが、それが過ぎると却って味わいがなくなってくる(無余蘊)」ということでした。

 私には冥捜旁引の能力がもともとないのでその心配はないのですが、拙作では当初、転句を「原無冥捜旁引術(原より冥捜旁引の術無く)」として、起・承・結句を今の句にしました。しかし何となく前後の繋がりが悪いような気がして、結局この転句は用いずに今の転句に変更しました。

老骨雖衰不問程 老骨(ろうこつ) (おとろ)えた(いえど) (てい)()わず

時尋勝概養吟情 (とき)(しょう)(がい)(たず) (ぎん)(じょう)(やしな)

莫嗤十歳空敲句 (わら)(なか) 十歳(じゅうさい) (むな)しく()(たた)

無奈稱心詩未成 (いか)んともする()(しょう)(しん)() (いま)()らざるを

(註) 称心=心にピッタリかなう

                   令和四年一月  光琇


意訳 私は歳をとって少し衰えてはいるが、遠きをいとわず、時々優れた景色を訪ねて詩心を養うようにしている。それをもとに詩文を練るわけだが、十年これに励んでいるのに、心にピッタリくる詩が未だにできないのはどうしたものか。どうか笑わないでほしい。


秋思

 70歳で会社をやめるとき、先に別の会社をやめた友人にメールで連絡すると、「やめてからどうするの」と聞かれました。「時間がたっぷりできるので、やめてから考える」という返事をしたところ、「何を勘違いしているの、時間はそんなに残されていないよ」と言われました。それから5年、あっという間に時が流れて、ついに後期高齢者になってしまいました。平均余命を調べると、12.6年で、残された時間はさらに短くなっています。

 長く生きてきてもたいしたことができなかったので、これからの短い余生で何かを成し遂げられるとは思いません。漢詩づくりを含めて、趣味を少しずつでもブラシアップしていけたらと考えています。

落葉紛飛古刹頭 落葉(らくよう)(ふん)() 古刹(こさつ)(ほとり)

殘蛩喞喞惹閑愁 残蛩(ざんきょう)(しょく)(かん)(しゅう)()

覺光陰早 老来(ろうらい) (そぞろ)(おぼ) 光陰(こういん)(はや)きを

七秩無功又餞秋 七秩(しちちつ) (こう)() (また)(あき)(おく)

(註一) 喞喞=虫などがしきりに鳴く声の形容

(註二) 七秩=七十年、七十歳

 

               令和三年十月  光琇


意訳 古いお寺の周りには落ち葉が飛び散っている。そんな中こおろぎが最後の力を振り絞ってしきりに鳴いており、(老残のわが身の叫びのようで)愁いがこみあげてくる。歳を取ると、何となく時の流れがはやいように感じる。70年間生きてきて、これといった功績もないまま今年も秋が過ぎ、また1年が終わろうとしている。


苦熱口占

今年は、遅い梅雨が終わって8月に入ると、毎日40℃近くの蒸し暑さが続きました。外に出る気がしないので、家の中にこもることが多かったのですが、たまに外に出るとムッとするような暑さに襲われ、日陰を探す始末です。

 

炎天下ので熱中症になったら困るので、ゴルフは自粛しました。また早朝の散歩も、少し寝坊すると30℃を超える暑さとなり少し歩くと汗だくです。運動不足にならないように、ジムには行くようにしていましたが、武漢肺炎の陽性者が増えていたので、こわごわ体を動かしていました。早く涼しくなってくれることを望みます。

旱雲不動炙天空 (かん)(うん)(うご)かず 天空(てんくう)(あぶ)

街巷如蒸甑裏同 (がい)(こう)()すが(ごと)(そう)()(おな)

携杖来追逃暑處 (つえ)(たずさ)(きた)()(しょ)(のが)るる(ところ)

汀濆柳下晩涼通 汀濆(ていふん)柳下(りゅうか) (ばん)(りょう)(つう)

(註一) 旱雲=夏の旱(ひでり)のころに出る雲

(註二) 甑裏=こしき(湯釜の上にのせて用いる土器)の中

            令和二年七月  光琇


意訳 ひでり雲はじっと動かずに夏空をあぶっている。街中は蒸し器の窯の中のようだ。暑さを逃れるところを求めて歩いていると、水際の柳の下がわずかながら日陰になっており、夕方の涼しい風が吹いていた。


晩春閑居

庭院蕭条夜二更 庭院(ていいん)(しょう)(じょう)たり (よる)()(こう)

窗辺獨聴落花聲 窓辺(そうへん)(ひと)()落花(らっか)(こえ)

休嘆尽日無人訪 (なげ)くを(やす)めよ 尽日(じんじつ) (ひと)()()きを

風月題詩聊復情 風月(ふうげつ)()(だい)すれば (いささ)()(じょう)あり

            令和二年六月  光琇 

今年は初春から武漢肺炎が一向に収まる気配がないので、人と接する機会がめっきり減ってしまいました。そんな時期の夜二更は気持ちが何となく気持ちがふさぎがちです。なお、二更というのは、日没から夜明けまでの時間を5等分した2番目という事なので、夜中(三更)の少し前です。

人との接触がなければ、花鳥風月を題材にした詩を作ることになります。パッと明るい詩を作りたいのですが、家に閉じこもっているせいでしょうか、何となく暗い詩になってしまいます。そろそろパンデミックが収まってほしいものです。


意訳 夜も更けてくると庭先はひっそりとしている。窓辺では一人でいると花の落ちる音が聞こえる。(疫病のために)人が訪ねてこないことを嘆くのはやめよう。風月を題材に詩を作るのもいささか趣があるものだ。


春夕獨酌

 今年は花見も宴会もなく、いつのまにか春が過ぎて落花の時節になってしまいました。街にはようやく人が戻りつつありますが、第二波の警戒のため本調子ではありません。家に閉じこもっているとストレスがたまるので、なるべく外に出るようにしていますが、人との接触を避けようとすると、やることは限られてきます。

 制約の多い生活ですが、春の来ない冬はない、朝の来ない夜はないと思って以前の日常に戻れることを待ち望んでいます。

雨余庭院落花堆 雨余(うよ)庭院(ていいん) 落花(らっか)(うずたか)

陋巷無人生暮哀 陋巷(ろうこう)(ひと)()暮哀(ぼあい)(しょう)

欲拂孤愁無遣處 ()(しゅう)(はら)わんと欲するも()(ところ)()

簾陰悄坐獨傾杯 (れん)(いん)(しょう)()して (ひと)(はい)(かたむ)

                  令和二年五月  光琇

意訳 雨上がりの庭先には落花が散らばっている。夕暮れのまち中には人影がなく、もの悲しい雰囲気が漂っている。(疫病の蔓延で友人たちに会えない)孤独を紛らわそうとするのだが、如何ともしがたく、すだれの陰にしょんぼり坐って一人で酒をすすることがせめてもの慰めである。



六甲晩秋有感ー六甲の晩秋に感有りー

舞台は神戸市立森林植物園の長谷池です。この植物園は「六甲の山並みと自然を背景に、端正な樹形をした針葉樹を林として植栽し、四季を彩る落葉樹や花木をそえる」という構想のもとに、1940年に創設されました。六甲山地の西部標高140mに位置し、総面積は142.6haです。

 この詩で、「白駒過郤(白駒郤を過ぐ」)とありますが、これは、白馬が壁の隙間を過ぎ去ることから転じて、時間または年月の過ぎ去ることの速いことの意味です。楓の落葉とともに長谷池に写った自分の白い髪の毛を見て、過ぎ去った年月に嘆息しています。

暮寒山腹樹林丘 ()(かん)山腹(さんぷく) 樹林(じゅりん)(おか)

啼鳥風聲坐惹愁 (てい)(ちょう) 風声(ふうせい) (そぞ)ろに(うれい)()

鏡水落楓霜鬢影  (きょう)(すい)(らく)(ふう) (そう)(びん)(かげ)

白駒過郤幾何秋 白駒(はっく)(げき)()(いく)(ばく)(あき)

() 白駒過郤=年月の過ぎ去ることの速いこと

           平成二十九年十二月  光琇


意訳 六甲の樹林の丘の山腹は、日暮れると寒くなってきた。鳥の声と風の音がなんとなく愁いをひく。池水に落葉が浮かんでおり、そこに映った自分の姿を見ると、髪の毛が真っ白だ。あっという間に何年もの年月が過ぎてしまったのだなあ。


思梅天ー梅天に思うー

霖雨蕭蕭灑落紅 霖雨(りんう)蕭蕭(しょうしょう)として (らっ)(こう)(そそ)

幽人懶出草庵中 (ゆう)(じん)()ずるに(ものう)草庵(そうあん)(うち)

回頭逝水黄粱夢 (こうべ)(めぐ)らせば (せい)(すい) 黄粱(こうりょう)(ゆめ)

莫慨菲才無寸功 (なげ)(なか)()(さい) (すん)(こう)()きを

(註一) 黄粱夢=わずかな間の夢(人生のはかなさのたとえ

(註二) 菲才=劣った才能のこと

               平成二十九年七月  光琇

意訳 長雨がしとしとと落ちた花びらに注いでいる。隠居老人は外出する気分にならずに家の中に引きこもっている。思い起こせば、あっという間に時が流れてしまった感がある。才能がないので何の功績もなかったことを嘆くのはやめておこう。

 梅雨という季節は毎日しとしと雨が降り、身も心も湿りがちになります。外出するのも億劫になり家の中に閉じこもっていると、先の短い高齢者はどうしても過去のことに思いが及びます。後藤新平は、死ぬ間際に「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」と言ったそうですが、私は金も事業も人も残していないので、下の下かもしれません。

 「黄粱夢」というのは以下の物語に依っています。唐代の盧生という青年が邯鄲(戦国時代の趙の都)の宿で、道士の呂翁に枕を借りたところ、それから出世して長い栄華の一生を送りました。ところが、ふと目覚めると、それは宿の主人が黄粱(こうりょう=あわ)の飯を炊いている僅かな間の夢であったというという物語です。「黄粱一飯夢」とも「邯鄲夢」ともいいます。