逍遥の詩・秋冬

御在所岳の冬景色
御在所岳の冬景色

◇歳旦看白鷺

◇葛城古道

◇春雨

◇芥川清流

◇熊野古道



歳旦看白鷺ー歳旦に白鷺を看るー

早暁逍遥河岸辺 早暁(そうぎょう)逍遥(しょうよう)河岸(かがん)(ほとり)

曈曈旭日映清漣 曈曈(とうとう)たる旭日(きょくじつ) (せい)(れん)(えい)

跳波白鷺游寒水 (なみ)(おど)らす白鷺(はくろ) (かん)(すい)(あそ)

比翼悠悠上碧天 比翼(ひよく)悠悠(ゆうゆう) 碧天(へきてん)(のぼ)

(註一) 曈曈=夜のあけわたるさま

(註二) 清漣=すんだ水の表面に立つさざ波 

(註三) 比翼=鳥などが飛ぶときに翼をならべる 

 

平成二十九年一月  光琇


 

 今年の正月は天気も良く暖かかったので、早朝に近くの芥川の堤防を散策しました。芥川は、大雨の後以外はいつも清流を保っており自然が多く残っているため、淡水魚だけではなく、シラサギやカモの遊び場にもなっています。川面で餌を探しているシラサギを撮影していると、突然大空に飛び立ちました。飛び立つところを撮影したのですが、悠然とした姿をうまくカメラに収めるのはなかなか難しく、経験と根気がいりそうです。

 昨年は、イギリスの国民投票、アメリカ大統領選などが次々と予想外の結果となり、これからは今までの延長上で世界情勢が動いていかないことを予感させます。我が国においては、今まで以上に弾力的な国の運営が必要になりそうです。それはそれとして、シラサギの悠然と飛翔する姿をみていると、なんとなく今年はいい年になりそうな気がしてきました。


葛城古道

幽径連延晩景奇 幽径(ゆうけい)(れん)(えん)として 晩景(ばんけい)()なり

梯田滿地豊饒期 (てい)(でん)()()豊饒(ほうじょう)(とき)

紅花黄穂西風下 紅花(こうか)黄穂(こうすい) 西風(せいふう)(もと)

俯瞰悠然飽不知 俯瞰(ふかん)悠然(ゆうぜん) ()くを()らず

(註一) 梯田=棚田

(註二) 西風=万物を実らせるという秋風

(註三) 俯瞰=高いところから見おろすこと

平成二十八年九月  光琇

葛城古道は、大和と河内の境界をなす金剛山と葛城山の東側の山裾にある約10kmのあぜ道のような小道です。この古道周辺の一帯は、大和朝廷よりもはるか以前に栄えた葛城王朝の故地であると言われています。古寺、神社、史跡、神話などが沿道に多く残っているロマンあふれる古道です。眼下には奈良盆地が広がり、万葉集に詠まれた大和三山も眺望できます。

9月初旬にミラーレス一眼を購入し、下旬に稲穂と曼珠沙華(彼岸花)を撮影するツアーに参加しました。そのツアーでは、同行の先生から写真の撮影方法を指導してもらい、少しだけ撮影の技術を理解できました。棚田に広がる稲穂は収穫の時期を控えて黄金色に輝き、その間を縫うように深紅の曼珠沙華が咲き誇っていました。2色のコンビネーションが素晴らしく、撮影に飽くことがありませんでした。



春雨

年が明けてから寒い日が続きましたが、2月の上旬に少し暖かくなり、またしっとりとした雨が降りました。2月の雨は植物の根に蓄えられ、やがて新緑や梅・桃などの開花を促すエネルギーとなります。今年も春が待ち遠しい季節になりました。

  雨にもかかわらず暖かさに誘われて、家族で近所に新しくできた割烹に出かけました。料理も部屋のつくりも店員のマナーも良く、また狭いながら庭の植え込みも豊富で、庭樹は雨で潤っていました。値段がリーズナブルなのも良かったです。梅の花はまだちょっと早いようでしたが、開花の準備が整っているようだったので、近いうちに再度出かけたら梅の花を見ながら食事という贅沢を味わえそうです。

 

当春好雨洗浮埃 (はる)(あた)りて 好雨(こうう)()(あい)(あら)

芳草欲萌鶯語催 (ほう)(そう)()えんと(ほっ)鴬語(おうご)(もよお)

逸興風暄林影外 逸興(いっきょう)(かぜ)(あたたか)(りん)(えい)(そと)

暗香放處夢紅梅 (あん)(こう)(はな)(ところ) 紅梅(こうばい)(ゆめ)

 (註) 逸興=俗世間を超越した優れた風流のおもむき

             平成二十八年二月 光琇



芥川清流

秋晴爽気滿空山 (あき)()れて (そう)()空山(くうざん)()

緑樹疎楓天地間 緑樹(りょくじゅ)()(ふう) (てん)()(かん)

岸参差幽谷裏 ()(がん)(しん)() 幽谷(ゆうこく)(うち)

渓聲生處水潺潺 (けい)(せい)(しょう)ずる(ところ) (みず)(せん)々たり

(註一) 空山=人気のない静かな山  

(註二) 岸=切り立った岸

(註三) 参差=並び連なるさま   

(註四) 潺潺=水のさらさらと流れるさま 

平成二十七年十一月 光琇


 芥川は、大阪府高槻市と京都府亀岡市との境付近を源とし、高槻市を南下して同市南部で淀川に合流しています。亀岡市の生活排水は保津川で京都市側に流れるため、芥川はいつも清流を湛え、中流では鮎の放流も行われています。中流の下の口・上ノ口間の摂津峡は滝もあるハイキング・コースになっています。下の口には温泉旅館があり、またそこの摂津峡公園は桜の名所として有名で、シーズンには大勢の人たちでにぎわいます。

 11月初旬に自宅の近所にある摂津峡にふらりと出かけましたが、温暖な日が続いたせいか、まだ紅葉はまばら(疎楓)でした。しかし、岩の間には豊かな清流を湛え、魚たちも気持ちよさそうに泳いでいました。その魚を狙う鳥たちも水面を飛び交い、芥川はまさに動物たちの楽園になっていました。


熊野古道

古道苔滋往来稀 ()(どう) (こけ)(しげ)往来(おうらい)(まれ)にして

秋深塵外入神機 (あき)(ふか)塵外(じんがい)(しん)()に入る

霊峰明滅浮雲海 霊峰(れいほう)明滅(めいめつ) 雲海(うんかい)()かび

天楽使人心靜祈 (てん)(がく) (ひと)をして(こころ)(しず)かに(いの)らしむ

(註一) 塵外=俗世間を離れた場所 

(註二) 神機=霊妙なはたらき 

(註三) 天楽=天(自然)が奏でる音楽

                 平成二十四年十一月  光琇


 祈りの道熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)に通じる参詣道のことです。参詣道には、舗装に用いられた石畳が遺構として残っているところもあります。そのルートは、伊勢路、本宮道、中辺路(なかへち)、大辺路(おおへち)、小辺路(こへち)、大峯道などいくつかあります。熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白川上皇の熊野御幸からのようで、その後京都の貴族も参詣するようになりました。2004年には、「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 詩は、現地に行って雰囲気を味わってから作るのが普通でしょうが、熊野古道は行きにくいこともあって、先に詩を作って後から現地に行くことにしました。しかしなかなか都合がつかず、まだ現地に行けていません。


琵琶湖周航跡

皛皛白汀沈碧漣 (きょう)々として (はく)(てい)(へき)(れん)(しず)

雄松綺羅思湖邊 ()(まつ)綺羅(きら) ()(へん)(おも)

寮歌一節刻碑石 (りょう)()一節(いっせつ) ()(せき)(きざ)

鏡水舟游晴快然 (きょう)(すい)(しゅう)(ゆう) ()れて(かい)(ぜん)たり

 中国語の朗詠

(註一) 皛皛=まっ白なさま

 (註二)  碧漣=青緑色のさざ波 

(註三) 雄松=湖西の雄松崎をさす 

(註四) 綺羅=美しい着物を着た人(乙女)

             平成二十四年十月  光琇

「♪われは湖の子 さすらの・・・」で始まる琶湖周航の歌は、第三高等学校(三高、現在の京都大学)の第二寮歌として歌い継がれ、加藤登紀子が歌ってからヒットしました。三高在学中の小口太郎が1917年に琵琶湖で漕艇中にこの歌詞を思い付き、翌日漕艇部の部員に紹介したのがはじまりです。当時流行していた歌の節にのせて琵琶湖周航の歌が完成し、その後、歌詞は6番まで補完されました。作曲者はよくわからなかったのですが、「ひつじぐさ」というのが原曲であるらしいということから、吉田千秋が特定されたようです。なお、小口26歳、吉田は24という若さで夭折しています。

 滋賀県では、1番から6番までの歌詞の舞台になったところに、それぞれの歌碑が設置されています。私が訪れたのは高島市近江舞子の雄松崎です。石碑に2番の歌詞「♪松は緑に砂白く 雄松が里の乙女子は 赤い椿の森蔭に はかない恋に 泣くとかや」が刻まれていました。