詩人・偉人の詩

西田幾多郎の歌碑
西田幾多郎の歌碑

詩仙堂憶丈山(朗詠

◇哲学道

◇阿倍仲麻呂

◇騒客武田信玄

◇近畿漢詩連盟



詩仙堂憶丈山ー詩仙堂に丈山を憶うー

京洛禪堂比叡邊 京洛(けいらく)禅堂(ぜんどう) ()(えい)(ほとり)

幽庭留古絶塵縁 幽庭(ゆうてい)(いにしえ)(とど)(じん)(えん)(ぜっ)

詩仙六六丈山撰 ()(せん)(ろく)(じょう)(ざん)(せん)

先哲風懐萬世傳 先哲(せんてつ)(ふう)(かい) (ばん)(せい)(つた)

中国語で朗詠

(註一) 詩人六々=部屋の壁に掲げられた三十六詩人

         とその肖像をさす

(註二) 風懐=石川丈山の風流を愛する気持ち

               

                平成二十七年九月  光琇

 石川丈山は江戸時代初期の儒学者、書家、漢詩人ですが、徳川家康に仕え大坂夏の陣で活躍した武人でもあります。漢詩では富士山が有名で詩吟の定番になっています。1641年、59歳で詩仙堂を造営し、没するまでの30余年を清貧の中で過ごしました。詩仙堂と呼ばれている建物は、正しくは凹凸窠(おうとつか)であり、その一室が詩仙堂です。丈山は中国の詩人36人を詩仙として選び、その肖像を狩野探幽に描かせ、各詩人の詩を自ら書いてその部屋の四方の壁に掲げています。

学生時代には京都の一乗寺に下宿していたことがあり、そこから自転車で大学に通っていました。一乗寺は、下り松で宮本武蔵が吉岡一門を迎えて決闘した所として有名です。その近くに曼殊院と詩仙堂があり、今回詩仙堂を訪れたのは学生時代以来50年振りでした。一乗寺の街並みはすっかり変わっていたので、下宿していた所は残念ながら見つかりませんでした。

 



哲学道

浅紅列處白花妍 (せん)(こう)(つら)なる(ところ) 白花(びゃっか)(うつく)

澹淡多年疏水旋 澹淡(たんたん)として 多年(たねん)疏水(そすい)(めぐ)

思索逍遥山麓道 思索(しさく)逍遥(しょうよう)山麓(さんろく)(みち)

路傍刻石憶先賢 路傍(ろぼう)(こく)(せき)先賢(せんけん)(おも)

(註一) 澹淡=水の揺らぐさま

(註二) 先賢=哲学者西田幾多郎をさす

              平成二十七年十月  光琇


 哲学の道は、銀閣寺付近から熊野若王子神社付近まで続く延長約1.5kmの散策路で、「日本の道百選」の一つになっています。哲学者西田幾多郎が思索にふけりながら散策したことからこの名が付いたようで、中間地点には彼の歌を刻んだ石碑があります。道に沿って琵琶湖疏水が北上しており、春には桜並木が秋には紅葉が彩りを添えます。雪化粧も好いようですが、滑って疏水に転落しないように気を付ける必要があります。

 10月初旬に銀閣寺から南禅寺まで散策しました。紅葉はまだちらほらでしたが、疏水脇に白や黄色の花が咲いていました。外国人が多く、話をしていたら、Are you a philosopher?と言われました。最近猫が増えたようで、人が集まっているので覗いてみると、寝そべっている猫の写真を撮っている人たちでした。


阿倍仲麻呂

 阿倍仲麻呂は若くして学才が認められ、717年に19歳の若さで唐の長安に留学し、そこで超難関といわれる科挙の進士の試験に合格します。とんとん拍子に出世しますが、玄宗皇帝の覚えが良かったために、なかなか帰国を許してもらえなかったようです。やっと許可が出て帰国の途に就くも、暴風のために難破して漂着地から引き返すはめになり、結局日本の土を踏むことなく73歳で客死しました。

 百人一首の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」は、長安で王維らがセットしてくれた帰国送別会における、阿倍仲麻呂の留別の和歌と言われています。ここで留別とは、別れて去っていく人が留まる人に別れを告げることです。仲麻呂は漢詩でもって留別することも考えたかもしれませんが、奈良の都への郷愁というデリケートな心境を表現するのには、日本語のほうが適していると思ったのでしょう。

 

志学遣唐千里航 志学(しがく)(けん)(とう) 千里(せんり)(こう)

欲帰不就独彷徨 (かえ)らんと(ほっ)するも()らず (ひと)彷徨(ほうこう)

東天皓皓仰山月 東天(とうてん) (こう)(さん)(げつ)(あお)

心緒遑遑夢故郷 心緒(しんしょ)(こう)々 故郷を夢む

 (註) 遑々=心が落ち着かないさま

     平成二十七年三月  光琇



騒客武田信玄

仰望凌雲富嶽前 仰望(ぎょうぼう)(りょう)(うん)富岳(ふがく)(まえ)

甲州武将対蒼天 甲州(こうしゅう)武将(ぶしょう) 蒼天(そうてん)(たい)

覇図不就遺名句 覇図(はと)()らずも 名句(めいく)(のこ)

清興高懐詩入玄 (せい)(きょう) 高懐(こうかい) () (げん)()る 

 (註一) 覇図=覇者になろうとするはかりごと 

 (註二) 清興=世間的なことを離れた風流な楽しみ   (註三) 高懐=高尚な心 (註四)入玄=奥深い

平成二十五年十月  光琇

 武田信玄は、領土拡大の過程で越後の上杉謙信と川中島で5度戦って勝利したことや、「風林火山」の軍旗を用いたことで有名です。家康でさえも、三方ヶ原の戦いで信玄に敗れてからは一目置いていました。信玄は土木工事でも優れた才覚を発揮しています。甲斐は河川の合流地点に当たり、洪水に悩まされてきました。彼は、洪水を自然に逆らって堤防で抑え込むのではなく、洪水を逃がす「信玄堤」という仕組みを考案し、農産物の生産に必要な治水・利水に注力しました。晩年、西上作戦中に三河で病没してから、家督を継いだ勝頼は長篠の戦いで信長・家康連合軍に大敗して最後には天目山で自害に追い込まれ、戦国大名としての武田家は滅亡します。

 20139月末に韮崎市で開かれた「国民文化祭・やまなし」の漢詩の部に参加した時に、信玄は優れた漢詩を遺した、ということを知りました。甲府駅前には信玄の銅像がどっしりと睨みをきかせています。



近畿漢詩連盟

 漢詩の全国組織として全日本漢詩連盟があります。設立は20033月で会長はNHKの漢詩紀行でおなじみの石川忠久先生です。近畿には近畿漢詩連盟という組織があります。2011年4月の設立で会長は大野修作先生です。私は両方の会員になっており、20136月末に松花堂で行われた近畿漢詩連盟の第3回総会に参加しました。少人数なので、和気あいあいとした雰囲気でした。

 総会では、大野会長から漢詩・漢文文化の衰退を嘆く以下のご挨拶がありました。「漢詩は現代の生活の中で隅に追いやられている。ほとんどの人が作れないし、その存在さえ知らない。漢詩・漢文に対する素養の低下と最近の日本の国力の低下は比例しているように思えてならない。国家のリーダーも漢詩・漢文の素養を欠いており、それでは羅針盤のない航海のようなものだ。明治の元勲たちには十分な漢詩・漢文力があり、それが欧米化の流れの中でも方向を誤らなかった最大の要因であったと思う。」

松花堂裏列吟裳 (しょう)花堂(かどう)()(ぎん)(しょう)(つら)

麗日薫風修竹蒼 (れい)(じつ)薫風(くんぷう) (しゅう)(ちく)(あお)

連盟同志詩魂健 連盟(れんめい)同志(どうし) ()(こん)(たけ)

清韻交情意気昌 (せい)(いん)交情(こうじょう) 意気(いき)(さか)んなり

(註一) 松花堂=京都南部の史跡、枯山水の庭園

(註二)  吟裳=詩人のもすそ(したばかま) 

                   平成二十五年七月  光琇