神社・仏閣の詩

高野山の六角経蔵
高野山の六角経蔵

◇永源寺

◇壇上伽藍

◇長谷寺

平等院鳳凰堂(朗詠)

◇北野天満宮

◇興福寺五重塔

◇比叡山延暦寺

◇平泉中尊寺

◇高野山

◇晩春長岳寺



永源寺

湖東禅刹碧江隈 湖東(ことう)禅刹(ぜんさつ) (へき)(こう)(くま)

石仏成群壁上開 石仏(せきぶつ) (ぐん)()して 壁上(へきじょう)(ひら)

風砕飛泉旋岸下 (かぜ)()(せん)(くだ)きて 岸下(がんか)(めぐ)

紅楓一葉落青苔 (こう)(ふう)一葉(いちよう) (せい)(たい)()

(註一)碧江=青々とした川

(註二)飛泉=滝

                平成二十八年十一月  光琇


 永源寺は、東近江市にある臨済宗永源寺派大本山です。すぐ横を琵琶湖にそそぐ愛知川が流れています。室町時代のはじめ康安元年(1361年)に近江の領主佐々木氏頼が寂室元光禅師の高徳を慕い、この地に伽藍を創建し、禅師を迎えて開山されました。春の新緑から夏の深緑を経て晩秋の紅葉へと移ろう季節の色彩変化が美しい禅刹です。

 11月の下旬に訪れた時には、紅葉のピークは過ぎていましたが、総門に至る石段の横に刻まれた16羅漢の石仏や白滝、落葉の絨毯などが荘厳な雰囲気を醸し出していました。読経・座禅・法話・食作法・作務等を通じて自己研鑽を行う研修道場もあり、5名以上の予約制になっています。



壇上伽藍

 高野山内への入り口は西側に位置する大門です。ここから中に入ると、壇上伽藍、金剛峯寺などのお寺や宿坊、土産店などが点在する街並みとなっています。東に進むと、一の橋から巨大な杉の林となり、その合間に諸大名や有名人の墓所が並んでいます。一番奥には弘法大師の御廟である奥の院があり、静寂の中読経が流れています。奥の院は弘法大師が入定された(生仏になられた)ところです。

  壇上伽藍は、弘法大師が高野山を開創されたときに、最初に着手された場所です。少し高くなった台上に、金堂や高野山の象徴となっている朱色の根本大塔(写真)など多くの建物が集まっています。蓮池の周辺では、イチョウなどの落葉樹がすでに色づき始めていました。

千年聖域老杉稠 千年(せんねん)聖域(せいいき) 老杉(ろうさん)(しげ)

櫛比山中遶寺頭 櫛比(しっぴ)山中(さんちゅう) 寺頭(じとう)(めぐ)

紅色穿天壇上塔 紅色(こうしょく)(てん)穿(うが)壇上(だんじょう)(とう)

池塘黄葉見清秋 池塘(ちとう)黄葉(こうよう) (せい)(しゅう)()

(註一) 櫛比=櫛の歯のように隙間なく並ぶ

(註二) 池塘=池の堤

                                平成二十八年十月  光琇



長谷寺

石磴登臨古法堂 石磴(せきとう) 登臨(とうりん)古法堂(こほうどう)

紫陽花發吐清香 紫陽花(しようか)(ひら)いて (せい)(こう)()

高臺俯瞰五重塔 高台(こうだい)俯瞰(ふかん)五重塔(ごじゅうのとう)

蒼翠山間天地涼 (そう)(すい) 山間(さんかん) 天地(てんち)(すず)

(註一) 石磴=石段、石畳の坂道

(註二) 登臨=高所に登って低いところを見渡すこと

              平成二十八年七月  光琇

長谷寺は奈良県桜井市にあり、真言宗豊山派の総本山としてまた西国三十三所第八番札所として、多くの人々の信仰を集めています。また、花の御寺としても有名で、アジサイ、ボタン、オオムラサキツツジ、シャクナゲ、オオデマリ、ハナミズキ、フジ、ヤマブキなど、四季の花を楽しめます。紀貫之の歌「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」の舞台にもなっており、その歌碑もあります。

  近鉄鶴橋駅から大阪線に一時間乗り、さらに降りてから三十分歩いて紫陽花が咲き誇る長谷寺に着きました。長谷寺は山腹に建物が散在しており、最上部にある本堂まで、399段ある階段の廊下を何度も休みながら登り切りました。本堂には南向きの舞台があり、そこから俯瞰すると、下の景色と五重塔などが見張らせます。



平等院鳳凰堂

 京都市南隣の宇治市は、源氏物語の宇治十帖の舞台になったところです。摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」を、道長の死後にその子の関白・藤原頼道が1052年に寺院に改めたのが平等院で、その翌年に建立されたのが現在の鳳凰堂です。2012年9月から2年間かけた平成の大修理を終えました。瓦、朱色の柱、白壁がまばゆいばかりで、鳳凰堂の姿は、あたかも翼を広げた鳳凰が浄土式庭園の碧水に浮かんでいるようです。

 平等院には4月末の休日に訪れました。入るとすぐに藤棚があり、その藤は樹齢250年以上ということで弱っていたため、かなりの剪定が行われ、2年ほど花をつけなかったようですが、当日は見事な花をつけていました。鳳凰堂内拝観の待ち時間は2時間ということだったので、そこに入るのはあきらめました。宇治はまた、高級ブランドの宇治茶で有名です。平等院への参道には、多くの宇治茶の販売店が並んでいます。

 

茶煙滿滿洛南春 茶煙(さえん)(まん)(らく)(なん)(はる)

匀藤架夭夭淡紫 (とう)()(よう)淡紫(たんし)(ととの)

擴翼鳳凰池水上 (つばさ)(ひろ)げたる鳳凰(ほうおう) ()(すい)(うえ)

千年浄處粧新 千年(せんねん)(きよ)(ところ) 靚粧(せいしょう)(あら)たなり

  中国語で朗詠

 (註一) 藤架=藤棚

 (註二) 夭夭=若々しいさま

(註三) =よそおい

                平成二十七年五月  光琇



北野天満宮

 北野天満宮は、菅原道真公(菅公)をお祀りした京都市にある神宮で、創建は947年です。菅公は、幼少の頃より情緒豊かな和歌を詠み、格調高い漢詩を作るなどの才能を発揮しました。どんどん出世して右大臣にまで上りつめますが、それが藤原氏の妬みを買い、冤罪で突如大宰府に左遷されました。死後に無実が証明され、菅公は「学問の神様」「至誠の神様」となって、今も人々の信仰を集めています。

 北野天満宮を訪問したのは2月末で、小雨のぱらつく寒い日でしたが、合格祈願の受験生で賑わっていました。約2万坪の境内には、501500本の梅の木が所狭しと植えられており、まだ3分咲きといったところでした。左遷が決まり京都を離れる際の菅公の歌が、「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」です。私の詩では、「梅香が東風に入る」としましたが、大宰府まで届いたでしょうか。

 

洛北残寒細雨中 洛北(らくほく)(ざん)(かん) (さい)()(うち)

梅香破蕾入東風 (ばい)(こう) (つぼみ)(やぶ)りて東風(とうふう)()

可憐腸断西遷配 (あわ)れむべし 腸断(ちょうだん)なる西遷(せいせん)(はい)

今就天神照梵宮 (いま)天神(てんじん)()りて (ぼん)(くう)()らす

(註一) 西遷配=菅原道真の大宰府への左遷をさす

(註二) 梵宮=清浄なお宮=北野天満宮

平成二十七年三月  光琇



興福寺五重塔

古都勝概暮雲流 古都(こと)(しょう)(がい) ()(うん)(なが)

細柳低垂池水頭 細柳(さいりゅう)(ひく)()()(すい)(ほとり)

青史変遷如夢去 青史(せいし)変遷(へんせん) (ゆめ)(ごと)()

五重堂塔画中収 五重(ごじゅう)堂塔(どうとう) 画中(がちゅう)(おさ)まる

 () 青史=興福寺の五重塔は、明治初期の廃仏毀釈の対象となり、民間に売り渡されたうえ、危うく解体処理されそうになったという史実

                平成二十六年九月  光琇


 以前は奈良公園の中に興福寺があると思っていたのですが、興福寺の広大な境内が奈良公園になったというのが正しいようです。藤原不比等(ふひと)の創建(710年)といわれる興福寺は、藤原氏の庇護のもと、それほど大きな勢力を誇っていたわけですが、明治の初期に危機を迎えます。廃仏毀釈で興福寺は取り壊しの対象となり、五重塔も二束三文で売りに出されました。買い手が五重塔の金具類を取り出すために焼こうとして、近所の反対で取りやめたという話が残っています。

 私が子供のころ、戦後処理のために奈良市に駐留していた米軍の通訳をしていた父親に、猿沢池や五重塔に何回か連れて行ってもらいました。学生時代にも、通学ルート上にあったのでよく立ち寄りました。猿沢池、五重塔、公園、鹿、みんな昔のままの姿です。


比叡山延暦寺

萬樹森森風自香 

緑陰深處中堂 

法灯不滅一隅照 

千載霊峰間覚涼 

 

万樹(ばんじゅ)(しん) (かぜ)(おの)ずから(かんば)

緑陰(りょくいん)(ふか)(ところ) 中堂(ちゅうどう)(のぼ)

法灯(ほうとう)不滅(ふめつ)にして 一隅(いちぐう)()らし

千載(せんざい)霊峰(れいほう)(しばし)(りょう)(おぼ)

 

 (註一) 中堂=根本中堂をさす 

(註二) 法灯=迷いの暗黒を照らす仏法を灯火に例えたことば(ここでは根本中堂で千二百年間守り継がれた法灯をさす)

 

           平成二十五年九月  光琇

 延暦寺は、京都市と大津市にまたがる標高848mの比叡山全域を境内とする150ほどの堂塔の総称です。9世紀初めに最澄が開き、日本天台宗の本山寺院になっています。最澄の教えの根本は、「個々が思いやりの心をもって一隅を照らす人になる」ということのようです。後世、このような教えの基に、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮といった高僧が延暦寺を修行の場に選びました。延暦寺は、1994年に古都京都の文化財としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 比叡山に涼みに行ったのは、夏の真っ盛りでした。京阪出町柳駅から叡山電鉄で八瀬比叡山口駅まで行き、そこからケーブルカーとロープウェイを乗り継いで山頂に着きました。根本中堂までの山道は日射がきつく、木陰を探しながら歩きました。中堂には1200年間守り継がれてきた「不滅の法灯」が光を放っており、その厳かな雰囲気の中で心の中まですっかり涼しくなりました。




平泉中尊寺

 平泉は、岩手県南西部の現在の平泉町の中心部にあり、12世紀に奥州藤原氏が栄えた地です。初代は藤原清衡で、中尊寺を建立し平泉の基礎を築きました。2代目は基平で、浄土思想の普及に尽力し、浄土庭園などを築きました。3代目は秀衡で、父が手がけていた毛越寺を完成させるとともに無量光院を建立するなどし、奥州に平安京を凌ぐとまで言われた都を拓きました。しかし、栄華は秀衡の時がピークで、次の泰衡は源義経をかくまったという理由で、鎌倉幕府に滅ぼされ、奥州藤原氏100年の歴史は幕を閉じました。

 自宅の大阪から平泉までは遠いので、以前東京に単身赴任していた時に、「東京に居るうちに行っておこう」と思って訪問しました。東北新幹線の一ノ関で在来線に乗り継いで、やっとのことで到着しましたが、遠路尋ねた甲斐あって静寂な雰囲気に浸ることができました。それからしばらく経った20116月に、中尊寺(写真)などの遺跡群がユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 

樓臺堂塔耐千年 (ろう)(だい)(どう)(とう) (せん)(ねん)()

今放眩輝珠玉鮮 (いま)(げん)()(はな)(しゅ)(ぎょく)(あざ)なり

三代榮華猶在此 (さん)(だい)(えい)() (なお)(ここ)()

奥州遺産四方傳 (おう)(しゅう)()(さん) ()(ほう)(つた)

() 三代=奥州藤原氏の三代(清衡、基衡、秀衡)をさす

    平成二十五年一月  光琇



高野山

霊山嫋嫋恵風柔 霊山(れいざん)(じょう)(じょう) 恵風(けいふう)(やわ)らかく

八葉蓮華峰影遥 八葉(はちよう)蓮華(れんげ)(ほう)(えい)(はる)かなり

不滅大師慈未盡 不滅(ふめつ)大師(だいし) (いつく)しみ(いま)()きず

奥院読經流 ()して()かん 奥院(おういん)()(きょう)(なが)

         るるを 

 (註一) 嫋嫋=なよなよとしなやかなさま  

 (註二) 八葉蓮華蓮の花びらのような聖地(高野山)

 (註三) 大師=弘法大師をさす

                 平成二十四年九月  光琇

高野山は和歌山県高野町にある標1000m前後の山々の総称です。弘法大師空海が修業の場として開いた聖地であり、高野山真言宗総本山金剛峯寺をはじめ、お寺の数は100を超えます。弘法大師は、蓮の華のように取り囲む八葉の峰の中心にあるということで、聖地を今の位置に決められたようです。2015年には、高野山開創1200年の記念大会として様々なイベントがありました。

  南海難波駅から高野山へは、橋本駅で乗り継いで終着の極楽橋駅まで1時間40分ぐらい、極楽橋駅からケーブルカーで高野山駅まで行き、そこからさらにりんかんバスでお寺を巡回するということになるので、相当の時間をみておく必要があります。山頂のお寺の多くは宿坊を兼ねているので、一泊するのがいいかもしれません。奥の院の読経を聴いていると、まるで別世界に引き込まれていくようでした。



晩春長岳寺

 長岳寺は奈良県天理市にあり、824年に淳和天皇の勅願により弘法大師が創建したといわれる古いお寺です。日本最古の玉眼仏阿弥陀三尊像や、鐘楼門(写真)などの重要文化財を有しています。

 長岳寺を尋ねたのは5月のゴールデン・ウィークでした。近鉄の天理駅で自転車を借りて、ひたすら「山の辺の道」を桜井方面に向けて南下し、その途中で長岳寺に立ち寄りました。以前から、一度「山の辺の道」を尋ねてみたいと思っていました。曲がりくねった地道で結構坂もあり、歩いたほうが楽だったかもしれません。長岳寺ではヒラドツツジが咲き誇り、静かな境内には鶯の声だけが鳴り響いていました。名物の三輪そうめんをいただき、その後大神(おおみわ)神社に立ち寄って近鉄桜井駅で自転車を返しました。

 

曲徑回山連草原 曲径(きょくけい)(やま)(めぐ)りて 草原(そうげん)(つら)なり

欲尋古刹到樓門 古刹(こさつ)(たず)ねんと(ほっ) 楼門(ろうもん)(いた)

樹庭幽寂隔塵 (じゅ)(てい)(ゆう)(じゃく) (じん)(るい)(へだ)

唯聞晩春鶯語喧 (ただ)()晩春(ばんしゅん) (おう)()(かまびす)しきを

  (註一) 長岳寺=九世紀に淳和天皇の勅願を受けて弘法大師が開いた天理市の古刹 

   (註二) 塵累=俗世間の煩わしいかかわりあい

                        平成二十四年五月  光琇



銀閣寺

煙霞擁閣隔塵寰 (えん)()(かく)(よう)塵寰(じんかん)(へだ)

慈雨濡苔禪刹閑 慈雨(じう)(こけ)()らし (ぜん)(さつ)(かん)なり

亂世幽居風雅跡 (らん)()(ゆう)(きょ)したる (ふう)()(あと)

將軍殘夢滿東山 将軍(しょうぐん)(ざん)() 東山(とうざん)()

中国語で朗詠

(註一) 煙霞=もやにかすむ景色 

(註二) 塵=俗世間 

(註三) 将軍=室町幕府足利八代将軍義政をさす

                 平成二十四年四月  光琇

 銀閣寺は俗称で、正しくは東山慈照寺といいます。室町幕府8代将軍足利義政公は政局のごたごたに嫌気をさして隠遁生活に入るために、早々と子の義尚に将軍職を譲りました。そして1482年に山荘東山殿の造営を始め、これが銀閣寺の発祥となりました。東山殿は、義政公を中心に形成された東山文化の発祥地ですが、これに禅宗文化が結合したといわれています。苔生した東山のふもとにひっそりとたたずむ姿は、金ピカの金閣寺と全く異なり、辺り一面にわび・さびの雰囲気を醸し出しています。

 京都・蹴上の南禅寺を尋ね、昼食に湯豆腐を食べて帰る予定だったのですが、店員に「銀閣寺まで歩いて1時間以内で行けるか」と聞いたところ、「40分ぐらいで行ける」という返事でした。意外に近かったので急遽予定を変更して、疏水沿いの哲学の道を通って銀閣寺まで歩き、気持ちのいい散歩ができました。



光明寺紅葉燃ー光明寺紅葉燃ゆー

秋風清冷寺庭鮮 秋風(しゅうふう)(せい)(れい) 寺庭(じてい)(あざ)やかに

紅映残陽染暮天 (こう)(ざん)(よう)(えい)暮天(ぼてん)()

黙座低頭観落葉 黙座(もくざ)低頭(ていとう)落葉(らくよう)()れば

無常哲理独蕭然 無常(むじょう)哲理(てつり)(ひと)(しょう)(ぜん)たり

 中国語で朗詠

 (註一) 光明寺=西山浄土宗総本山、京都府長岡京市

 (註二) 哲理=哲学上の道理

 (註三) 蕭然=がらんとしてもの寂しいさま

          平成二十三年十二月  光琇


 光明寺は京都府長岡京市にある寺院です。法然上人を慕い帰依した弟子の蓮生法師が1198年に念仏三味堂を建立したのが始まりといわれています。熊谷蓮生(熊谷次郎直実)は源平の戦いの明け暮れに疲れ果て、積もる罪状を償い極楽往生の道を求めて法然上人を訪ねました。その時に上人から「どんなに罪は深くとも、一心に念仏を唱えれば救われる」と言われ、そのありがたい教えに歓喜し、その後ここに寺を建て、法然上人を開山第一世と仰ぎ、自らは二世となったそうです。

 11月末に訪れた時は紅葉の真っ盛りで、参道を覆い尽くす紅葉の隙間からこぼれ落ちる夕陽と薄い葉の透き通った紅色が交錯し、光の芸術のようでした。また参道には落葉がふわふわした紅い絨毯を敷き詰めていました。青葉が紅葉となり、紅葉が落葉してやがては土にかえる無常の哲理に、しばししんみりした気持ちになりました。