社会資本の詩

舞鶴のクレインブリッジ
舞鶴のクレインブリッジ

◇黒部水庫

◇来島海峡大橋

◇賀新幹線五十歳

◇鉄道登箱根山

明石海峡大橋



黒部水庫

遥仰雪峰雲外巓 (はる)かに(あお)(せっ)(ぽう) 雲外(うんがい)(いただき)

碧湖窈窕水連天 (へき)()窈窕(ようちょう) (みず) (てん)(つら)なる

図南偉業想艱難 ()(なん)偉業(いぎょう) 艱難(かんなん)(おも)

佇立長堤自儼然 長堤(ちょうてい)(ちょ)(りつ)(おのず)から(げん)(ぜん)たり

(註一) 窈窕=奥深く曲がりくねるさま

(註二) 図南=大事業を企てることのたとえ

(註三) 佇立=たたずむ

           平成二十九年五月  光琇


 

日本一の高さ186mを誇る黒部ダムは、戦後日本の急速な経済成長により生じた関西の電力不足を解消するために建設されました。昭和316月に黒部川第四水力発電所建設事務所が開設され、ダムの建設工事がスタートし、延べ1000万人の人々と171名の尊い犠牲により、昭和38年に完成の運びとなりました。最大の難所は、破砕帯(地下水をため込んだ岩が細かく割れた地層)を抜けるための大町トンネル(資材の輸送路)の工事で、石原裕次郎主演の「黒部の太陽」として映画化されています。

黒四ダムを訪れたのは5月の初めで、長野県側からアクセスし、扇沢駅から関電トロリーバスで16分かけて到着しました。その後、黒部ケーブルカーや立山ロープウェイなどを乗り継ぐ立山黒部アルペンルートで富山県側に抜けました。立山を始め北アルプス連峰は雪で真っ白でした。


来島海峡大橋

本州と四国を結ぶ連絡橋は3ルートあります。東から、神戸・鳴門ルート(19984月開通)、児島・坂出ルート(19884月開通)、尾道・今治ルート(19995月開通)の3本です。このうちの尾道・今治ルートは「しまなみ海道」という愛称で、歩行者や自転車も通行できます。四国の愛媛県今治市から順に、大島・伯方島・大三島・生口島・因島・向島を経て本州の広島県尾道市に至り、各島にはICがあるため、自動車や自転車で島巡りができます。

来島海峡大橋は、四国と大島をつなぐ橋で、3連の吊り橋からなっています。来島海峡は船舶の往来が多く、自然と人工物、すなわち海・島・空と舟・橋とが見事に調和し、素晴らしい景観を醸し出しています。

満眼無塵風動沙 満眼(まんがん)(じん)()風沙(かぜすな)(うご)かし

島群縹渺続天涯 島群(とうぐん)縹渺(ひょうびょう) 天涯(てんがい)(つづ)

舟行不尽蒼波上 舟行(しゅうこう)()きず 蒼波(そうは)(うえ)

浮宙銀橋入翠霞 (ちゅう)()かびて(ぎん)(きょう) (すい)()()

(註一) 縹渺=遠くかすかなさま

(註二) 翠霞=青いかすみ

            平成二十九年三月  光琇



賀新幹線五十歳ー新幹線五十歳を賀すー

 

鉄路開通五十年 鉄路(てつろ)開通(かいつう) 五十年(ごじゅうねん)

至高技術共時遷 至高(しこう)技術(ぎじゅつ) (とき)(とも)(うつ)

可誇事業猶多夢 (ほこ)るべし 事業(じぎょう)(なお)夢多(ゆめおお)

如走如飛横眼前 (はし)るが(ごと)()ぶが(ごと)く          眼前(がんぜん)(よこ)ぎる

             

          平成二十六年十月  光琇

 1964年10月1日、東京五輪に間に合わせて東海道新幹線が整備されました。そして、2014年は東海道新幹線開業から50目の年になります。

明治以降の日本の近代化は、鉄道が支えてきたといっても過言ではありません。しかし戦後、近距離輸送は自動車が、遠距離輸送は航空機が担うようになって鉄道の地位は徐々に低下し、一時斜陽産業と言われた時期もありました。そんな中登場したのが東海道新幹線で、その後新幹線網は全国に広がり海外でも導入が進みました。日本の新幹線の誇りは高速性だけではありません。50年間列車事故による死傷者ゼロという安全性と、東京・大阪間の平均遅延誤差が1分以内という定時性も特筆すべきです。

 2014年10月には国土交通大臣から、さらに高速のリニア中央新幹線の工事実施計画の認可を受けました。次の50年は、リニア中央新幹線の建設と新幹線の世界展開が課題になると思われます。



鉄路登函嶺山ー鉄路函嶺山(箱根山)を登るー

 箱根登山鉄道は、小田原駅と強羅駅を結ぶ15.0kmの単線電気鉄道です。急勾配を曲がりくねりながら普通の鉄輪で上り下りするため、スイッチ・バックといって、何回か進行方向を変えながら運行します。それでも勾配の急なところは80‰(=8%)にもなり、また半径30mという急な曲線を曲がるところもあります。

 このような急勾配・急カーブの山道を、トンネルを抜けたり鉄橋を渡ったりしながら、季節ごとに変わる箱根山の景色を楽しむことができます。新緑、紅葉、冬景色もいいようですが、6月に乗ったときには、あちらこちらに紫陽花(アジサイ)が満開でした。アジサイは土のpH によって色が変わります。箱根の土はアルカリ系なのでしょうか、赤っぽいアジサイが多かったような気がしました。私は青っぽいのが好きですが、そこまで私の好みに合わせてくれとは言いません。

 

幽山鉄路入雲霞 幽山(ゆうざん)鉄路(てつろ) 雲霞(うんか)()

緑深鳥譁  (りん)(えつ)(みどり)(ふか)くして 梄鳥(せいちょう)(かまびす)

曲曲攀来天下険 (きょく)(のぼ)(きた)天下(てんか)(けん)

彩陰満地紫陽花 (かげ)(いろど)満地(まんち) ()(よう)(はな)

(註) 林樾=林の木の下 

            平成二十六年六月  光琇



明石海峡大橋

碧水蒼茫島影遐 (へき)(すい)(そう)(ぼう) (とう)(えい)(はる)かなり

飛龍越海入雲霞 ()(りゅう) (うみ)()(うん)()()

架橋秀逸千年技 ()(きょう)(しゅう)(いつ) (せん)(ねん)(わざ)

聳宙雄姿映日誇 (ちゅう)(そび)ゆる(ゆう)姿() ()(えい)じて(ほこ)

 中国語で朗詠

(註) 島影=淡路島の島影をさす

平成二十五年四月  光琇


 明石海峡大橋は、兵庫県神戸市と淡路島の間の明石海峡に架かる、橋長3,911m吊り橋です。

中央支間長は1,991mで世界最長です。19984月に完成し、先に完成していた鳴門橋と一体となって本州と四国が陸続きになりました。工事途中の19951月に、マグニチュード7.2の兵庫県南部地震が発生して基礎地盤が動いたため、中央支間長が当初計画より1m長くなりました。

 本州四国連絡ルートは、この神戸・鳴門ルートと、1988年に開通した児島・坂出ルート、1999年に開通した尾道・今治ルートの3ルートです。バブル崩壊前だからこんな大型事業が、しかも3ルートまとめて計画されたのでしょう。しかし、その後長大橋の計画は途絶えてしまったので、蓄えられた技術が継承されない恐れがあります。伊勢式年遷宮のように、20年ごとに1ルートずつ整備していったほうが良かったかも知れません。


餘部橋梁

餘部橋梁は兵庫県香美町にある山陰本線の単線鉄道橋です。旧橋梁は1912年に完成し、下の長谷川の河床からレール面までの高さが41.45mという長い橋脚をもつ朱色の鋼橋で、宙を飛ぶようなレールは鉄道ファンを魅了してきました。しかし、198612月に回送列車の突風による落下事故があり、それ以降頻繁に運行規制が行われるようになりました。そのため、同じ位置にプレスとレスト・コンクリートの新橋が計画され、20108月に完成しました。旧橋も一部展望施設「空の駅」として保存されています(写真の手前左)。

 下の駐車場から空の駅に上るのに息が切れました。夏に空の駅でビア・ガーデンを開き、ビア列車を走らせたら人が集まるかもしれません。しかし酔っ払いが転落しそうな気がします。

風雪百年支列車 (ふう)(せつ)(ひゃく)(ねん) 列車(れっしゃ)(ささ)えたる

旧橋清影向天誇 (きゅう)(きょう)(せい)(えい) (てん)()かいて(ほこ)

新粧相就青山下 (しん)(しょう)(あい)()(せい)(ざん)(もと)

仰看双龍映彩霞 (あお)()双竜(そうりゅう) (さい)()(えい)

 中国語で朗詠

(註)餘部橋梁=兵庫県香美町にある山陰線の橋梁。1912年に供用

   した鉄橋は、1986年の列車転落事故や事故後の風速規制等も

   あり、2010年よりコンクリート橋に架け替わった。

                平成二十五年三月  光琇



琵琶湖疎水

疏水源泉自大湖 ()(すい)(げん)(せん)(だい)()よりす

清流湛湛遶京都 (せい)(りゅう)(たん)々として (きょう)()(めぐ)

朔郎意気遺随處 朔郎(さくろう)()()(ずい)(しょ)(のこ)

不屈高情今此蘇 ()(くつ)なる(こう)(じょう) (いま)(ここ)(よみがえ)

中国語の朗詠

(註一) 朔郎=琵琶湖疏水を成し遂げた田邉朔郎

 (註二) 高情=けだかい心

            平成二十五年二月  光琇


 明治の初め、東京遷都で衰退の危機にあった京都を元気にするため、琵琶湖疏水が計画されました。その計画の設計と工事の指揮に当たったのは、工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したての田辺朔郎でした。1885年に着工されてから90年の第一疏水完成までに5年を要しました。 

 琵琶湖疏水の目的は、当初は水道、灌漑、水運、水力でしたが、田辺朔郎は、米国視察で得た知識をもとに水力発電の導入を決断します。その電力により京都に新しい工場が生まれ、日本初の路面電車が誕生しました。琵琶湖と淀川を結ぶ水運では、蹴上のところが急坂となるため、ここに舟をレール上の台車に載せて運ぶインクラインを導入しました。これを動かす動力は発電した電力です。インクラインは1948年に休止されましたが、疏水は今も京都市内に命の水を供給するとともに、哲学の道などの豊かな風情にも貢献しています。写真は南禅寺境内の水路閣で、今ではすっかり景観に溶け込んでいます。