名勝の詩

香嵐渓
香嵐渓

◇鷲羽山春望

◇白川郷ライトアップ

◇白糸滝

◇白川郷雪景

◇芦湖望富岳

◇香嵐渓紅葉

◇箕面瀑布

◇巡富士五湖

◇嵐山舟游

◇赤目四十八滝

◇天橋立股覗

霊峰富士

◇下保津峡

◇月瀬観梅

天城路



鷲羽山春望

 鷲羽山は、瀬戸内国立公園に属し、倉敷市の代表的な景勝地です。鷲が羽を広げた様子に似ていることから「鷲羽山」と名付けられました。山頂は標高133mと低いですが、瀬戸内海に点在する大小50余りの島と雄大な瀬戸大橋の姿を俯瞰することができます。夕景の写真を撮影することはできませんでしたが、「日本の夕景百選」にも選ばれています。

 大阪から明石海峡大橋・大鳴門境経由で四国にわたり、父母ケ浜で夕景を楽しんだ後に瀬戸大橋経由で大阪に戻る瀬戸内一周一泊ツアーの二日目に、鷲羽山に立ち寄りました。4月初めの桜全開の時期だったので、瀬戸内海全体が桜に囲まれていました。

滿眼山櫻競麗華 満眼(まんがん)山桜(さんおう) (れい)()(きそ)

鶯声一笛向人誇 鴬声(おうせい)(いっ)(てき) (ひと)(むか)いて(ほこ)

蒼茫碧海浮群島 蒼茫(そうぼう)たる碧海(へきかい) 群島(ぐんとう)(うか)

燦燦銀橋映彩霞 燦燦(さんさん)として (ぎん)(きょう)(さい)()(えい)

(註) 銀橋=瀬戸大橋をさす

             平成三十年四月  光琇



白川郷ライトアップ

白川郷は、岐阜県内庄川流域の白川村等にある合掌造りの集落です。1995年に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。毎年初に夜間ライトアップが行われており、2018年は、12128日、2412日の4回実施されました。

私が参加したのは最終日で、大雪の中北陸から東海北陸自動車道で何回もトンネルをくぐりながらのツアーでした。トンネルを抜けるごとに雪がひどくなり、無事に到着できるかどうか心配しましたが、何とか夕刻に到着できました。寒さで手がかじかんでシャッターを切るのに苦労しました。

群峰山麓轉凄涼 (ぐん)(ぽう)山麓(さんろく) (うたた)(せい)(りょう) 

雪擁孤村埋草堂 (ゆき)()(そん)(よう)して 草堂(そうどう)(うず)

合掌妍姿燈焔耿 合掌(がっしょう)(けん)姿() (とう)(えん)(こう)たり

乾坤一白似仙郷 乾坤(けんこん)(いっ)(ぱく) 仙郷(せんきょう)()たり

(註) 耿=小さくぽっと明るいさま

             平成三十年三月  光琇



白糸滝

芙蓉山麓雨餘天 芙蓉(ふよう)山麓(さんろく) 雨余(うよ)(てん)

湧水盈盈作爆泉 湧水(ゆうすい)(えい)(えい) (ばく)(せん)()

幾萬絹絲幽谷裏 (いく)(まん)絹糸(けんし) 幽谷(ゆうこく)(うち)

彩虹如畫淡煙連 (さい)(こう) ()(ごと)(たん)(えん)(つら)なる

(註一) 芙蓉=ハスの花の異名(富士山の別称)

(註二) 盈盈=水がいっぱいに満ちるさま

                  平成三十年三月  光琇

 白糸の滝は富士山麓の富士宮市にある美しい滝です。世界遺産構成資産でもあります。滝は川から落ちるのが普通ですが、白糸の滝は富士山の伏流水が湧き出て滝となっているため、滝つぼの水は青緑色に澄んでマイナスイオンを発しています。高さ20m、幅150mの湾曲した前面に白糸が広がる様相を呈しており、日本の滝百選にも選ばれています。

 私がカメラを準備していると、突然に滝つぼの上に虹が現れました。慌ててシャッターを切ろうとしたのですが、モタモタしているうちに残念ながら少し消えかけの虹になってしまいました。



白川郷雪景

越中山下雪舗銀 越中(えっちゅう)山下(さんか) (ゆき)(ぎん)()

信歩寒村画景匀 ()(まか)せば (かん)(そん) 画景(がけい)(ととの)

合掌皚皚茅屋寂 合掌(がっしょう)皚皚(がいがい) 茅屋(ぼうおく)(じゃく)たり

瑤林白樹浄無塵 (よう)(りん)白樹(はくじゅ) (きよ)くして(じん)()

(註一) 皚皚=明るく白いさま

(註二) 瑶林=玉のように美しい林

            平成三十年二月  光琇


 大阪からの日帰りツアーで白川郷に行きました。この日帰りは、東海北陸自動車道が開通していなければ無理だと思います。サンダーバードで金沢駅まで行って、北陸新幹線に乗り換えて一区間移動、新高岡駅でツアーバスが待っていました。サンダーバードはJR西のドル箱路線になったのでしょう、30分に1本の運行で私の乗った列車は12両編成でした。

 高岡市内で寿司を食べてから一路東海北陸自動車道経由で白川郷に。東海北陸自動車道ではトンネルを抜けるごとに雪が激しくなり、白川郷では大雪でした。雪の対策をしていなかったので、思うように撮影ができず、居酒屋で熱燗をチョビチョビやって寒さをしのぎました。


芦湖望富岳ー芦ノ湖に富岳を望むー

芦ノ湖は箱根にある細長い湖で、面積は7.03㎢、水深は最大43.5m、平均15.0mです。水面の標高は723mと高所にあります。約3000年前の水蒸気爆発により山の一部が崩壊し、カルデラ内にあった早川をせき止めてできた湖です。豊かな青い水、湖周辺の山々、富士山の眺望、近くに温泉が多いというように、観光地としての要件がそろっており、多くの観光客を引きつけています。

ツアーでは、30分ほどかけて海賊船で芦ノ湖を縦断し、到着地の桃源台から大涌谷に移動すると、まだあちらこちらで噴煙が上がっていました。20155月に火山活動が活発化し、長い間入山が規制されていましたが、20164月に一部を除き解除されています。

凾山風冷碧湖邊 凾山(かんざん)(かぜ)(つめ)たし (へき)()(ほとり)

四面悠然嵐翠連 ()(めん)悠然(ゆうぜん)として (らん)(すい)(つら)なる

遙聳芙蓉雲上嶺 (はる)かに(そび)芙蓉(ふよう) 雲上(うんじょう)(みね)

彩霞白雪更嬋娟 (さい)() 白雪(はくせつ) (さら)嬋娟(せんけん)

(註一) 凾山=箱根 

(註二) 嵐翠=風になびいて山の緑色が鮮やかに見えること

(註三) 芙蓉=ハスの花の異名、富士山の別称

                   平成三十年一月  光琇



香嵐渓紅葉

香嵐渓は愛知県豊田市足助町(あすけちょう)にある、矢作川支流の巴川がつくる渓谷で、紅葉やカタクリの花などで有名です。1634年に足助にある香積寺の三栄和尚が、参道にカエデやスギの木を植えたのが始まりとされています。香嵐渓のシンボルともいえるのが待月橋(たいげつきょう、下写真)です。命名されたのは1953年で、その後3回の架け替えを経て2007年に新たな橋となりました。

 香嵐渓を訪れたのは11月の半ばで、紅葉の真っ盛りでした。この年の紅葉の人気投票で香嵐渓は全国でトップだったようで、さすがにその美しさには圧倒されました。特に待月橋たもとの紅葉のグラデュエ―ションは見事でした。

渓流曲岸水超超 渓流(けいりゅう) (きょく)(がん) (みず)(ちょう)々として

新霽行雲山影揺 新霽(しんせい)行雲(こううん) 山影(さんえい)(ゆる)

待月橋邊連五色 (たい)(げつ)(きょう)(へん)五色(ごしょく)(つら)

千林嫋嫋錦風飄 (せん)(りん)嫋嫋(じょうじょう) 錦風(きんぷう)(ひるが)える

(註一) 待月橋=香嵐渓のシンボル的存在

(註二) 嫋嫋=なよなよとしなやかなさま

        平成二十九年十二月  光琇



箕面瀑布

北摂渓流上曲塘 北摂(ほくせつ)渓流(けいりゅう) 曲塘(きょくとう)(のぼ)

森然崖樹野猿郷 森然(しんぜん)たる崖樹(がいじゅ) 野猿(やえん)(さと)

瀑泉千尺綺羅帯 (ばく)(せん)千尺(せんじゃく) 綺羅(きら)(おび)

滾滾清容緑水涼 (こん)々たる(せい)(よう) (りょく)(すい)(すず)

(註一) 森然=たくさんの木が茂っているさま

(註二) 綺羅=あやぎぬとうすぎぬ

           平成二十九年九月  光琇

9月の初めに、明治の森箕面国定公園に小鳥の写真を撮るために訪問したのですが、小鳥の姿は川面で一回しか見ることができませんでした。しかもその鳥はすぐに飛び去ってしまい、後から聞いた話では、小鳥の撮影は腰を据えて、小鳥の来るのをじっと待たなければいけないそうです。それでもシャッター・チャンスはなかなかやってこないようで、短気な私には小鳥の撮影は難しそうです。

せっかく来たので、滝の撮影に切り替えて何枚か写真を撮りました。箕面の滝は「日本の滝百選」に選ばれており、レースのカーテンを垂らしたような美しい姿に感動しました。周辺にはニホンザルが頻繁に出現します。人になれており、女性からさっとビニール袋を奪っていきました。



巡富士五湖ー富士五湖を巡るー

12月中旬に一泊二日のバスツアーで富士五湖巡りをしました。一日目の夕方は、山中湖周辺で山頂に沈む夕陽がダイヤモンドのように光り輝く自然現象「ダイヤモンド富士」を鑑賞する予定でした。しかし、雲が厚く雪がパラついてきたので、残念ながらダイヤモンドどころか全く富士山の姿を拝むことはできずに、その日は河口湖の傍の温泉ホテルに移動して残念会となりました。

二日目は、日が昇る前からホテルの屋上でカメラを構えていると、眼前に雄大な富士山が現れて紅富士を鑑賞することができました。その日は一日中快晴で、河口湖越し、西湖越し、精進湖越し、本栖湖越しに素晴らしい姿をカメラに収めることができました。写真は本栖湖越しの富士で、千円札の裏に描かれている姿です。

遠来富嶽五湖傍 (とお)(きた)()(がく)()()(ほとり)

侵早無雲仰碧蒼 (しん)(そう)(くも)()(へき)(そう)(あお)

忽見皚皚冠雪景 ()たちまちがい々たるかんせつけい

泰然屹立對陽光 ()泰然たいぜんとして屹立きつりつ 陽光ようこうたい

(註一) 五湖=山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖

(註二) 侵早=早朝 

(註三) 碧蒼=青い空

(註四) 皚皚=明るく白いさま

平成二十八年十二月  光琇



嵐山舟游

 

軽舟一棹桂川前 軽舟けいしゅういっとう 桂川けいせんまえ

)

渡月幽橋浮碧漣 ()(げつ)(ゆう)(きょう) (へき)(れん)()かぶ

囘首嵐山天籟爽 (こうべ)(めぐ)らせば 嵐山(らんざん) 天籟(てんらい)(さわ)やかに

白雲流處浅紅鮮 白雲(はくうん)(なが)るる(ところ) (せん)(こう)(あざ)やかなり

(註一) 碧漣=青いさざなみ  

(註二) 天籟=自然になる風の音など

           平成二十七年十二月 光琇

 京都市の北西のはずれに位置する嵐山は国の史跡名勝で、春は桜の、秋は紅葉の名所として大勢の観光客が押し寄せます。平安時代には貴族の別荘地となっており、当時の貴族たちが牛車で出かけて花鳥風月を楽しみました。

  11月下旬にバス・ツアーで嵐山に行き、地区を散策した後大堰川で屋形船に乗りました。船頭さんは竿一本で20人ぐらい乗せた船を自由自在に操ります。暖冬のせいで紅葉はまだ少し浅かったようですが、雄大な景色を満喫し、平安貴族の気分を味わいました。



赤目四十八滝

 赤目四十八滝は、三重県名張市を流れる滝川の渓谷にある滝群です。赤目の由来は、役小角が滝に向かって行をしていると、不動明王が紅い目の牛に乗って出現したという伝説から来ているようです。清らかな流れと深い森がつくる深山幽谷で、川沿いに4kmの遊歩道が整備されています。紅葉の名所でもあり、秋には多くの観光客で賑わいます。

 8月の初めに、孫たちと青山高原のホテルで2泊し、伊賀の忍者屋敷や赤目四十八滝に行きました。到着するまでは熱かったのですが、散策路に入ると、マイナス・イオンのせいでしょうか、一変してヒンヤリとした空気となり、頑張って登ろうという気になりました。とはいえ、往復3時間のフルコースは老体にこたえるので、途中の不動滝で休憩し、かき氷で体を内側から冷却してから引き返しました。

 

 林間幽径避驕陽 林間(りんかん)幽径(ゆうけい)(きょう)(よう)()くれば

落瀑滔滔引爽涼 落瀑(らくばく)(とう)爽涼(そうりょう)()

雨後採虹天寂寂 雨後(うご)(さい)(こう) (てん) (じゃく)々たり

鳥聲和水緑風香 鳥声(ちょうせい)(みず)()緑風(りょくふう)(かんば)

 () 驕陽=盛んに照り輝く太陽

     平成二十六年八月  光琇 



天橋立股覗

欲極長橋登小丘 長橋ちょうきょうきわめんとほっし 小丘しょうきゅうのぼれば

股間奇勝影如浮 股間こかん奇勝きしょう かげかぶがごと

飛龍隔水到天際 りゅうみずへだて てんさいいた

沙白松青一望収 すなしろ松青まつあおし 一望いちぼうおさ

                     平成二十六年七月  光琇


 「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立」と百人一首で歌われた天橋立は、京都府宮津市にある砂州です。その奇勝は松島・宮島と並んで「日本三景」のひとつに挙げられています。砂州の幅は20150m、全長は3.6kmで、砂と数千本の松林は典型的な白砂青松といえます。古風土記によると、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天上から通うために梯子をかけて、天上と地上を往来していたところ、うっかり地上で一夜を過ごしてしまった時に、この橋が倒れて現在の姿になったそうです。高台の成相寺には、股のぞき台があり、股の間から天橋立を見ると、海と空が逆になって竜が天に昇るように見えます。

 美しい景観維持のために、人工的な漂砂供給対策や薬剤散布による松枯れ防止策などの努力が続けられています。


霊峰富士

 富士山は日本の最高峰(3776m)であるだけでなく、その優美な姿は日本国の象徴にもなっています。また、浮世絵をはじめ多くの芸術作品の対象にもなってきました。20136月には、難産の末にユネスコの世界遺産に登録されました。それも自然遺産ではなく、関連する文化財群とともに「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」ということで文化遺産に登録されたのです。富士山は、古くから神の住む霊峰として畏怖され、富士信仰が生まれました。浅間神社に祀られている浅間大神(あさまのおおかみ)は、神界で最も美しいとされる女神の木花咲耶姫このはなのさくやひめ)であるとされています。

 この詩は富士山が世界遺産に登録されることを知り、何回か見た富士山とその神霊をイメージして作ったものです。その年の秋には、山梨県の韮崎市に行く機会があったので、山中湖や河口湖畔で改めて美しい霊峰を拝ませてもらいました。写真は後日に撮った精進湖越しの子抱き富士です。

一望千里映朝陽 (いち)(ぼう)(せん)() (ちょう)(よう)(えい)

山影穿雲接彼蒼 (さん)(えい) (くも)穿(うが)ちて()(そう)(せっ)

綽約神霊何處坐 (しゃく)(やく)たる(しん)(れい) (いず)()(おわ)

萬年留雪冠扶桑 (まん)(ねん) (ゆき)(とど)()(そう)(かん)たり

 中国語で朗詠

(註一) 彼蒼=蒼天

(註二) 綽約たる神霊=美しい女神である浅間大神 

   (あさまのおおかみ)をさす

(註三) 扶桑=日本(中国の東方の島にあるという神

    木を産するところ)

          平成二十五年五月  光琇



下保津峡ー保津峡を下るー

 保津峡は、京都府亀岡市から京都市右京区の嵐山に至る16kmの保津川(桂川)の渓谷です。春は桜、秋は紅葉と四季にわたって楽しめます。この保津峡を川下りするのが保津川下りです。深淵あり、激流ありで、曲がりくねった渓谷を楽しみながら2時間の船旅を楽しめます。渓谷に沿ってハイキング・コースがあり、またトロッコ列車が走っています。この列車は、山陰本線の線形が改良されて1989年まで廃線となっていた路線を、1991年に観光用として利用したもので、7.3kmをレトロな列車が走ります。

 「保津川下り」というと、やはり船に乗って川を下るということになるのでしょうが、私の場合はトロッコ列車で亀岡から嵐山まで下りました。その列車から見た秋の保津峡の渓谷を思い出しながらの作詩なので、「保津川下り」という詩題ではなく、「保津峡を下る」としました。

 

紅楓堆處下滄流 こうふううずたかところ そうりゅうくだれば

神秘深渕牽客愁 しんなるしんえん かくしゅう

両岸參差穿峡谷 りょうがんしん きょうこく穿うが

残陽一箭入孤舟 ざんよういっせん しゅう

(註一) 客愁=旅愁、旅情 

(註二) 参差=互いに入り混じるさま 

              平成二十四年十二月  光琇



月瀬観梅-月ヶ瀬観梅ー

萬樹紅英隔水鮮 万樹(ばんじゅ)(こう)(えい) (みず)(へだ)てて(あざ)やかに

千枝白雪競淸 (せん)()(はく)(せつ) (きよ)きを(きそ)うて(うつく)

芳香馥郁侵寒發 (ほう)(こう)馥郁(ふくいく) (かん)(おか)して(ひら)

綴玉梅溪月瀬天 (たま)(つづ)(ばい)(けい) (つき)()()(てん)

 (註一) 紅英=紅色の花 

 (註二) 馥郁=よい香りのただようさま 

 平成二十四年三月  光琇


 月ヶ瀬村は、20054月に平成の大合併で都祁村とともに奈良市になりました。月ヶ瀬と言えば「月ヶ瀬梅渓」を思い浮かべるほど、梅の名所として有名です。一万本ともいわれる梅林と五月川の渓谷美は、春を待ちわびた人たちを引き寄せますが、交通の不便さからか、人ごみというような混雑はありません。シーズン中の月ヶ瀬は、梅の香りに満ち満ちています。温泉もあります。

 以前に月ヶ瀬に行った時の光景を思い出して急に行きたくなり、2月に行ったのですが、この年は寒さのせいでしょうか、梅はまだつぼみ状態でした。改めて3月に行って、やっと見事な梅林を観ることができました。往きは名阪国道から行ったのですが、帰りは奈良市内につながる山道を走ったところ、縁石でタイヤの側面をこすってパンクし、夕闇迫る中でタイヤを取り換えるのに、四苦八苦しました。


天城路

早辭隧道下淸流 (つと)(ずい)(どう)()して 清流(せいりゅう)(くだ)れば

巨木遮天泉壑頭 巨木(きょぼく)(てん)(さえぎ) 泉壑(せんごく)(ほとり)

驟雨一過充碧水 驟雨(しゅうう)一過(いっか) (へき)(すい)()ちて

跳珠瀑布入吟眸 (たま)(おど)瀑布(ばくふ) (ぎん)(ぼう)()

(註)泉壑=谷間の泉

                         平成二十三年七月  光琇

天城路は、昭和45年に全長800mの新天城トンネルが開通してからは主にハイカーたちに利用されるようになり、ハイキング・コースは踊子歩道とよばれています。16.2km(約5時間20分)のこのコースをトンネルから南に下れば、伊豆の踊子と学生との足取りをたどることができます。トンネルを出て、河津川の清流に沿って南下していくと、二階滝を経て河津七滝巡りができます。そしてさらに湯ケ野まで下ると、踊り子の泊まった福田屋があります。

この詩は私の処女作です。2002年の10月に旧天城トンネルを視察した時に歩いた天城路を思い出しながら作詩しました。初めて伊豆を訪れた19歳の一高生川端康成が、旅芸人の一行と道連れになったときの淡い恋心を探る視察でもありました。