名勝の詩

保津峡
保津峡

◇湖北晩景

◇巡富士五湖

◇嵐山舟游

◇赤目四十八滝

◇天橋立股覗

霊峰富士(朗詠)

◇下保津峡

◇月瀬観梅

天城路(朗詠)



湖北晩景

竹生島影暮煙巡 竹生(ちくぶ)島影(とうえい) ()(えん)(めぐ)

鴻鵠群来鳴浪頻 鴻鵠(こうこく)()(きた)りて (なみ)

         くことしきりなり

落暉赫灼映雲水 落暉(らっき)赫灼(かくしゃく) 雲水(うんすい)(えい)

曲岸清幽湖北春 (きょく)(がん)(せい)(ゆう) 湖北(こほく)(はる)

(註一) 鴻鵠=大きな鳥、ここではコハクチョウ(註二) 落暉=沈む太陽の光

(註三) 赫灼=あかあかと光り輝くさま

           平成二十九年三月  光琇


湖北町は、名前からわかるように琵琶湖北部の町で湖に面しており、2010年に長浜市に編入されました。湖岸の水鳥公園から神の棲む竹生島を望むことができます。夕刻に湖北町に到着するようにツアーがスケジュールされていたので、竹生島を含めて美しい夕焼けを撮影することができました。2月末の湖北の夕刻はまだ肌寒く、シャッターを切る指が凍えてしまいました。

湖岸には、一年を通して多くの野鳥が訪れます。コハクチョウが北帰行の準備をしていたのでしょうか、群れを成していました。今度来るときにはどんな野鳥が訪れているでしょうか。


巡富士五湖ー富士五湖を巡るー

12月中旬に一泊二日のバスツアーで富士五湖巡りをしました。一日目の夕方は、山中湖周辺で山頂に沈む夕陽がダイヤモンドのように光り輝く自然現象「ダイヤモンド富士」を鑑賞する予定でした。しかし、雲が厚く雪がパラついてきたので、残念ながらダイヤモンドどころか全く富士山の姿を拝むことはできずに、その日は河口湖の傍の温泉ホテルに移動して残念会となりました。

二日目は、日が昇る前からホテルの屋上でカメラを構えていると、眼前に雄大な富士山が現れて紅富士を鑑賞することができました。その日は一日中快晴で、河口湖越し、西湖越し、精進湖越し、本栖湖越しに素晴らしい姿をカメラに収めることができました。写真は本栖湖越しの富士で、千円札の裏に描かれている姿です。

遠来富嶽五湖傍 (とお)(きた)()(がく)()()(ほとり)

侵早無雲仰碧蒼 (しん)(そう)(くも)()(へき)(そう)(あお)

忽見皚皚冠雪景 ()たちまちがい々たるかんせつけい

泰然屹立對陽光 ()泰然たいぜんとして屹立きつりつ 陽光ようこうたい

(註一) 五湖=山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖

(註二) 侵早=早朝 

(註三) 碧蒼=青い空

(註四) 皚皚=明るく白いさま

平成二十八年十二月  光琇



嵐山舟游

 

軽舟一棹桂川前 軽舟けいしゅういっとう 桂川けいせんまえ

)

渡月幽橋浮碧漣 ()(げつ)(ゆう)(きょう) (へき)(れん)()かぶ

囘首嵐山天籟爽 (こうべ)(めぐ)らせば 嵐山(らんざん) 天籟(てんらい)(さわ)やかに

白雲流處浅紅鮮 白雲(はくうん)(なが)るる(ところ) (せん)(こう)(あざ)やかなり

(註一) 碧漣=青いさざなみ  

(註二) 天籟=自然になる風の音など

              平成二十七年十二月 光琇

 京都市の北西のはずれに位置する嵐山は国の史跡名勝で、春は桜の、秋は紅葉の名所として大勢の観光客が押し寄せます。平安時代には貴族の別荘地となっており、当時の貴族たちが牛車で出かけて花鳥風月を楽しみました。

  11月下旬にバス・ツアーで嵐山に行き、地区を散策した後大堰川で屋形船に乗りました。船頭さんは竿一本で20人ぐらい乗せた船を自由自在に操ります。暖冬のせいで紅葉はまだ少し浅かったようですが、雄大な景色を満喫し、平安貴族の気分を味わいました。



赤目四十八滝

 赤目四十八滝は、三重県名張市を流れる滝川の渓谷にある滝群です。赤目の由来は、役小角が滝に向かって行をしていると、不動明王が紅い目の牛に乗って出現したという伝説から来ているようです。清らかな流れと深い森がつくる深山幽谷で、川沿いに4kmの遊歩道が整備されています。紅葉の名所でもあり、秋には多くの観光客で賑わいます。

 8月の初めに、孫たちと青山高原のホテルで2泊し、伊賀の忍者屋敷や赤目四十八滝に行きました。到着するまでは熱かったのですが、散策路に入ると、マイナス・イオンのせいでしょうか、一変してヒンヤリとした空気となり、頑張って登ろうという気になりました。とはいえ、往復3時間のフルコースは老体にこたえるので、途中の不動滝で休憩し、かき氷で体を内側から冷却してから引き返しました。

 

林間幽径避驕陽 林間(りんかん)幽径(ゆうけい)(きょう)(よう)()くれば

落瀑滔滔引爽涼 落瀑(らくばく)(とう)爽涼(そうりょう)()

雨後採虹天寂寂 雨後(うご)(さい)(こう) (てん) (じゃく)々たり

鳥聲和水緑風香 鳥声(ちょうせい)(みず)()緑風(りょくふう)(かんば)

 () 驕陽=盛んに照り輝く太陽

          平成二十六年八月  光琇 



天橋立股覗

欲極長橋登小丘 長橋ちょうきょうきわめんとほっし 小丘しょうきゅうのぼれば

股間奇勝影如浮 股間こかん奇勝きしょう かげかぶがごと

飛龍隔水到天際 りゅうみずへだて てんさいいた

沙白松青一望収 すなしろ松青まつあおし 一望いちぼうおさ

                     平成二十六年七月  光琇


 「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立」と百人一首で歌われた天橋立は、京都府宮津市にある砂州です。その奇勝は松島・宮島と並んで「日本三景」のひとつに挙げられています。砂州の幅は20150m、全長は3.6kmで、砂と数千本の松林は典型的な白砂青松といえます。古風土記によると、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天上から通うために梯子をかけて、天上と地上を往来していたところ、うっかり地上で一夜を過ごしてしまった時に、この橋が倒れて現在の姿になったそうです。高台の成相寺には、股のぞき台があり、股の間から天橋立を見ると、海と空が逆になって竜が天に昇るように見えます。

 美しい景観維持のために、人工的な漂砂供給対策や薬剤散布による松枯れ防止策などの努力が続けられています。


霊峰富士

 富士山は日本の最高峰(3776m)であるだけでなく、その優美な姿は日本国の象徴にもなっています。また、浮世絵をはじめ多くの芸術作品の対象にもなってきました。20136月には、難産の末にユネスコの世界遺産に登録されました。それも自然遺産ではなく、関連する文化財群とともに「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」ということで文化遺産に登録されたのです。富士山は、古くから神の住む霊峰として畏怖され、富士信仰が生まれました。浅間神社に祀られている浅間大神(あさまのおおかみ)は、神界で最も美しいとされる女神の木花咲耶姫このはなのさくやひめ)であるとされています。

 この詩は富士山が世界遺産に登録されることを知り、何回か見た富士山とその神霊をイメージして作ったものです。その年の秋には、山梨県の韮崎市に行く機会があったので、山中湖や河口湖畔で改めて美しい霊峰を拝ませてもらいました。写真は後日に撮った精進湖越しの子抱き富士です。

一望千里映朝陽 (いち)(ぼう)(せん)() (ちょう)(よう)(えい)

山影穿雲接彼蒼 (さん)(えい) (くも)穿(うが)ちて()(そう)(せっ)

綽約神霊何處坐 (しゃく)(やく)たる(しん)(れい) (いず)()(おわ)

萬年留雪冠扶桑 (まん)(ねん) (ゆき)(とど)()(そう)(かん)たり

 中国語で朗詠

(註一) 彼蒼=蒼天

(註二) 綽約たる神霊=美しい女神である浅間大神 

   (あさまのおおかみ)をさす

(註三) 扶桑=日本(中国の東方の島にあるという神

    木を産するところ)

平成二十五年五月  光琇



下保津峡ー保津峡を下るー

 保津峡は、京都府亀岡市から京都市右京区の嵐山に至る16kmの保津川(桂川)の渓谷です。春は桜、秋は紅葉と四季にわたって楽しめます。この保津峡を川下りするのが保津川下りです。深淵あり、激流ありで、曲がりくねった渓谷を楽しみながら2時間の船旅を楽しめます。渓谷に沿ってハイキング・コースがあり、またトロッコ列車が走っています。この列車は、山陰本線の線形が改良されて1989年まで廃線となっていた路線を、1991年に観光用として利用したもので、7.3kmをレトロな列車が走ります。

 「保津川下り」というと、やはり船に乗って川を下るということになるのでしょうが、私の場合はトロッコ列車で亀岡から嵐山まで下りました。その列車から見た秋の保津峡の渓谷を思い出しながらの作詩なので、「保津川下り」という詩題ではなく、「保津峡を下る」としました。

 

紅楓堆處下滄流 こうふううずたかところ そうりゅうくだれば

神秘深渕牽客愁 しんなるしんえん かくしゅう

両岸參差穿峡谷 りょうがんしん きょうこく穿うが

残陽一箭入孤舟 ざんよういっせん しゅう

(註一) 客愁=旅愁、旅情 

(註二) 参差=互いに入り混じるさま 

              平成二十四年十二月  光琇



月瀬観梅-月ヶ瀬観梅ー

萬樹紅英隔水鮮 万樹(ばんじゅ)(こう)(えい) (みず)(へだ)てて(あざ)やかに

千枝白雪競淸 (せん)()(はく)(せつ) (きよ)きを(きそ)うて(うつく)

芳香馥郁侵寒發 (ほう)(こう)馥郁(ふくいく) (かん)(おか)して(ひら)

綴玉梅溪月瀬天 (たま)(つづ)(ばい)(けい) (つき)()()(てん)

 (註一) 紅英=紅色の花 

 (註二) 馥郁=よい香りのただようさま 

 平成二十四年三月  光琇


 月ヶ瀬村は、20054月に平成の大合併で都祁村とともに奈良市になりました。月ヶ瀬と言えば「月ヶ瀬梅渓」を思い浮かべるほど、梅の名所として有名です。一万本ともいわれる梅林と五月川の渓谷美は、春を待ちわびた人たちを引き寄せますが、交通の不便さからか、人ごみというような混雑はありません。シーズン中の月ヶ瀬は、梅の香りに満ち満ちています。温泉もあります。

 以前に月ヶ瀬に行った時の光景を思い出して急に行きたくなり、2月に行ったのですが、この年は寒さのせいでしょうか、梅はまだつぼみ状態でした。改めて3月に行って、やっと見事な梅林を観ることができました。往きは名阪国道から行ったのですが、帰りは奈良市内につながる山道を走ったところ、縁石でタイヤの側面をこすってパンクし、夕闇迫る中でタイヤを取り換えるのに、四苦八苦しました。


天城路

早辭隧道下淸流 (つと)(ずい)(どう)()して 清流(せいりゅう)(くだ)れば

巨木遮天泉壑頭 巨木(きょぼく)(てん)(さえぎ) 泉壑(せんごく)(ほとり)

驟雨一過充碧水 驟雨(しゅうう)一過(いっか) (へき)(すい)()たし

跳珠瀑布入吟眸 (たま)(おど)瀑布(ばくふ) (ぎん)(ぼう)()

 中国語で朗詠

 (註)泉壑=谷間の泉

                  

                平成二十八年十一月  光琇

天城路は、昭和45年に全長800mの新天城トンネルが開通してからは主にハイカーたちに利用されるようになり、ハイキング・コースは踊子歩道とよばれています。16.2km(約5時間20分)のこのコースをトンネルから南に下れば、伊豆の踊子と学生との足取りをたどることができます。トンネルを出て、河津川の清流に沿って南下していくと、二階滝を経て河津七滝巡りができます。そしてさらに湯ケ野まで下ると、踊り子の泊まった福田屋があります。

この詩は私の処女作です。2002年の10月に旧天城トンネルを視察した時に歩いた天城路を思い出しながら作詩しました。初めて伊豆を訪れた19歳の一高生川端康成が、旅芸人の一行と道連れになったときの淡い恋心を探る視察でもありました。