古城・古跡の詩

竹田城の石垣
竹田城の石垣

◇芳山懐古

◇大阪城梅林

◇大阪城今昔

◇平城宮跡懐古

◇高槻城址

◇二条城

姫路城新粧(朗詠)

天空竹田城(朗詠)

◇彦根城玄宮園



芳山懐古

奈良県の中央部にある吉野山は、何といっても桜の名所です。下千本、中千本、上千本、奥千本と地域ごとに咲く時期がずれているので長く桜が楽しめます。かつては豊臣秀吉も花見に来たことがあるようです。1936年には吉野熊野国立公園に指定され、2004年には吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道がユネスコの世界遺産に登録されました。吉野山はまた、後醍醐天皇が京都を逃れて南朝を置いたところです。後醍醐天皇は1339年にこの地で崩御し、その後も何代か南朝が続きました。

私がバスツアーで吉野山を訪れたのは46日で、桜はまだちらほらという状態でした。ツアーからの帰り道の枚方周辺では桜が満開で、ツアー客からは、「わざわざ吉野まで遠征する必要がなかった」という反省の声がありました。

風遶芳山古刹扉 (かぜ)(ほう)(ざん)(めぐ)古刹(こさつ)(とびら)

桜花未発鳥声稀 桜花(おうか)(いま)(ひら)かず 鳥声(ちょうせい)(まれ)なり

蓁蓁老樹御陵畔 蓁蓁(しんしん)たる老樹(ろうじゅ) 御陵(ごりょう)(ほとり)

欲弔南朝立夕暉 南朝(なんちょう)(とむら)わんと(ほっ)夕暉(せっき)()

(註一) 芳山=吉野山

(註二) 蓁蓁=草木が盛んに茂るさま

平成二十九年四月  光琇



大阪城梅林

春光燦燦雨余天 春光(しゅんこう)燦燦(さんさん)たり 雨余(うよ)(てん)

城閣亭亭濠水旋 城閣(じょうかく)亭亭(ていてい) 濠水(ごうすい)(めぐ)

信歩東風香馥郁 ()(まか)せれば 東風(とうふう)(こう)馥郁(ふくいく)たり

忽逢万樹雪華妍 (たちま)()万樹(ばんじゅ) (せっ)()(けん)なり

(註一) 亭亭=樹木や塔がすっくと立ったさま

(註二) 馥郁=かおりがゆたかにこもるさま

(註三) 雪華=雪のような白い(梅の)華

  平成二十九年三月  光琇

 大阪城公園は、桜の開花時期に多くの花見客でにぎわいますが、その前には1.7haの梅林で1000本を超える株に美しい梅の花を咲かせます。桜の時には、ところどころで宴会が花開きますが、梅の時はさすがにまだ寒いので、宴会は見られませんでした。

 この梅林は、大阪府立北野高校の卒業生が開校100周年事業として、22品種・880本を大阪市に寄贈し、昭和493月に開園となりました。それが今では100品種を超えているようです。私は大阪城正面の大手前高校を、梅林がまだない昭和40年に卒業しました。



大阪城今昔

春色独登樓 たる春色しゅんしょく ひとろうのぼれば

濠水石垣牽古愁 ごうすい 石垣せきえん しゅう

布陣兩回空入夢 布陣ふじん 両回りょうかい むなしくゆめ

星移唯看澱江流 ほしうつり ただでんこうながるるを

(註一) 布陣両回=大坂冬の陣と夏の陣をさす

(註二)  澱江=淀川  

               平成二十八年五月  光琇

 豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、豊臣家を臣従させるべく対話を求めました。しかし、豊臣秀頼やその生母である淀殿は臣従を拒絶したため、1614年の大坂冬の陣と翌年の夏の陣で豊臣家は滅ぼされ、大坂城は落城しました。その後、大坂城は徳川秀忠の命により再築されましたが、明治維新の動乱や第二次世界大戦の空襲でも多くの建造物が焼失しました。現在の大阪城は戦後に建造されたものです。

 高校が大阪城の正面だったこともあり大阪城は見慣れていたつもりでしたが、久しぶりに直下から見上げると、その威容に圧倒されました。天守閣に上がってみると、直近にビルがないため大阪中を見渡すことができます。また上から見下ろすと、大阪城周辺は貴重な水と緑の空間を形成していることがよくわかります。



平城宮跡懐古

 平城京は、1300年前に今の奈良県北部に建設された都で、その北端中央に天皇の住まいや官公庁が集まる130ヘクタールの平城宮がありました。しかし平城京が都であったのは、710年から785年までの75年間であり、その後都は長岡京から平安京に移りました。平城宮は急にさびれて長らく田んぼとなり、平城宮の存在が明らかになるまでに1000年を要したようです。そして、戦後にやっと発掘調査が始まり、1998年に朱雀門と東院庭が、2010年に第一次大極殿が復元されました。

 今年の正月は暖かかったので、年明け早々に平城宮に行きました。建物以外の部分は広場のままになっています。コンピュータ・グラフィックスで映し出された当時の街並みを見ると、その壮大さに驚かされます。こんな立派な街や多くの建物が1000年もの間忘れ去られていたというのはさびしいことです。

軽暖倚笻徊故宮 軽暖(けいだん)(つえ)()りて故宮(こきゅう)(めぐ)

朱門朱殿勝花紅 朱門(しゅもん)(しゅ)殿(でん) (はな)(まさ)りて(くれない)なり

條坊大路榮華跡 条坊(じょうぼう)大路(おおじ) 栄華(えいが)(あと)

惜是南都入夢中 ()しむらくは(これ) 南都(なんと)夢中(むちゅう)()

(註一) 朱門朱殿=朱雀門と大極殿をさす

(註二) 条坊の大路=南北の大路(坊)と東西の大路

   (条)の碁盤目状の街路網

                  平成二十八年一月 光琇



高槻城址

蕭然城址淡煙籠 蕭然(しょうぜん)たり 城址(じょうし)(たん)(えん)()

滿目池邊躑躅紅 満目(まんもく) 池辺(ちへん)躑躅(てきちょく)(くれない)なり

殉教千年名不朽 殉教(じゅんきょう)千年(せんねん) ()()ちず

孤高銅像立清風 ()(こう)銅像(どうぞう) 清風(せいふう)()

 (柱一)蕭然=ものさびしいさま

(註二) 躑躅=つつじ

 (註三) 銅像=キリシタン大名高山右近をさす

                   平成二十七年六月  光琇


高槻市中心市街地にある高槻城は、1569年に和田惟政が城としての基礎を固め、1573年に高山右近が町屋を城内に取り込んで堅固な城郭を築きました。南の淀川と北の西国街道の間にはさまれて、交通の要衝地という地の利を活かして繁栄したようですが、明治初期の1874年に廃城となり、国鉄東海道線建設のために石垣が使われました。城の痕跡はわずかに残されているだけで、今は4.44haの閑静な公園となっています。高槻城跡という石碑がなければ、ただの公園と思ってしまうかもしれません。

公園内には高山右近像が建てられています。右近と言えば、キリシタン大名として有名です。彼が城主であった時には、領内の住民の多くがキリスト教徒であったようですが、神官・僧侶を迫害し神社・仏閣を破壊しました。その後、秀吉によるバテレン追放令や家康によるキリシタン国外追放令を受けて、右近はマニラに渡り、その直後に64歳で客死しています。


二条城

 二条城は、京都市堀川二条にあります。徳川家康が征夷代将軍になった1603年に完成し、11年に家康は豊臣秀頼とここで接見しています。その時頼もしく成長した秀頼をみて、家康は後顧の憂いを断つために豊臣家をつぶす決意をし、14・15年の大坂冬の陣・夏の陣につながったと言われています。そして2世紀半の時を経た1867年、最後の将軍徳川慶喜がこの二条城にて大政奉還を表明しました。二条城はこのように、徳川幕府の始まりと終焉を演出する歴史の舞台となったわけです。

 五層の天守閣がそびえていた時期もあったようですが、現存する本丸御殿(重要文化財)、二の丸御殿(国宝)はいずれも平城です。二の丸御殿のいくつもの大広間には、絢爛豪華な狩野派の障壁画が描かれており、まさに日本版ルーブル美術館のようです。二の丸庭園は特別名勝に指定されており、お城全体は1994年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 

春暖東風繞玉堂 (しゅん)(だん)東風(とうふう)玉堂(ぎょくどう)(めぐ)

幽庭召我以梅香 幽庭(ゆうてい) (われ)(まね)くに(ばい)(こう)(もっ)てす

千年青史滄桑變 千年(せんねん)青史(せいし) (そう)(そう)(へん)

大政奉還開帝郷 大政(たいせい)奉還(ほうかん) (てい)(きょう)(ひら)

 (註一) 玉堂=美しい御殿

 (註二) 滄桑の変=世の中の移り変わりが激しいこと

平成二十七年四月 光琇



姫路城新粧

 姫路城は白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも呼ばれています。1580年、羽柴秀吉は黒田孝高(官兵衛)の姫路城に入り、翌年に三重の天守を築きました。その後、徳川家康の女婿・池田輝政が石垣などは活かして五重の天守を完成させ、これが現在の姫路城の原形になりました。太平洋戦争などの戦禍を奇跡的に潜り抜け、400年後の今に当時の姿を伝えています。

11月末、小春日和に誘われて、2009年度から始まった平成の大修理の終わった姫路城に足を運びました。修理が終わったとはいえ、足場はまだ残っており、天守内部への登閣はできません。工事が完全に終わるのは、20153月末になります。とはいえ、漆喰壁を真っ白に化粧直しした白鷺はまさに天空に飛び立たんばかりで、国宝・世界遺産の風格を呈していました。

濠水滄滄紅葉鮮 濠水(ごうすい)(そう)紅葉(こうよう)(あざ)やかに

新粧相就清妍 新粧(しんしょう)(あい)()(うたた)清妍(せいけん)なり

層閣経時身未老 層閣(そうかく) (とき)()()(いま)()いず

従雲白鷺舞旻天 (くも)(したが)(はく)()旻天(びんてん)()

中国語で朗詠

(註) 旻天=秋の空

                平成二十六年十二月  光琇



天空竹田城

但馬秋深眼界清 但馬(たじま)(あき)(ふか)眼界(がんかい)(きよ)

侵晨閑坐竹田城 (しん)(おか)して(かん)()竹田(たけだ)(じょう)

宛如虎臥泛雲海 (あたか)(とら)()するが(ごと)雲海(うんかい)(うか)

依旧石垣連宙横 (きゅう)()石垣(せきえん)(ちゅう)(つら)なりて(よこ)たう

 中国語で朗詠 

(註一) 侵晨=朝早く 

(註二) 依旧=昔ながら

  平成二十五年十一月  光琇

竹田城は兵庫県朝来市にあります。以前に近くを通ったことがありますが、いつもそのまま通過していました。ところが、2012年の高倉健主演の映画「あなたへ」で雲海に浮かぶ美しい竹田城がスクリーンに映し出されてから、「天空の城」とか「日本のマチュピチュ」と呼ばれ、急に有名になりました。竹田城跡は、虎が伏せているように見えることから「虎臥城」とも呼ばれています。

  11月末の早朝に、竹田城見学バスツアーに参加しましたが、詩に詠った「雲海に泛ぶ」姿を見ることはできませんでした。それを見るためには、冬の早朝に対面の立雲峡に登らなければいけません。また、円山川の川霧が立ち込めるというタイミングにも恵まれる必要があります。ということなので、雲海に浮かぶ竹田城の撮影は何年先になるかわかりません。



彦根城玄宮園

湖北晩涼黄菊時 湖北(こほく)(ばん)(りょう) 黄菊(こうぎく)(とき)

古城尚儼格高姿 古城(こじょう)(なお)(げん)たり (かっ)(こう)姿(すがた)

仰観層閣映弦月 (あお)()層閣(そうかく) 弦月(げんげつ)(えい)

玉笛蟲聲風遶池 (ぎょく)(てき) 虫声(ちゅうせい) (かぜ) (いけ)(めぐ)

(註) 弦月=上弦、下弦の月

               平成二十四年十月  光琇


 この詩は「国民文化祭・やまなし2013」の漢詩の部で秀作賞をいただきました。作詩を初めて1年目の詩なので、はっきり言って時期尚早ではありましたが、いただけるものはいただいておこうということで、山梨県韮崎市での表彰式に夫婦で参加させてもらいました。表彰式に併せて、昼のツアーや夜の懇親会も組まれており、韮崎市の至れり尽くせりのご好意に感謝・感激でした。

 ふらっと彦根城に足を運んだのは残暑厳しい8月の半ばでした。その時に、彦根城主の大名庭園である玄宮園で、9月に虫の音を聞きながら邦楽を楽しむ会があることを知り、9月の夜に再度訪問しました。昼の暑さが引いた夜、ライトアップされた彦根城と玄宮園、そして笛の音と虫の音が見事に調和した世界で時間のたつのを忘れました。

 なぜ秀作賞の栄誉に浴することができたのかよくわかりませんが、五感全体で場の雰囲気を表現できたのがよかったのかもしれません。