伝統行事の詩

嵐山花灯路の舞台
嵐山花灯路の舞台

◇古都燈花会

◇芥川鯉幟祭

◇賀茂曲水宴

◇松尾大社節分祭

◇茨木花火大会

◇天神祭船渡御

◇伊勢式年遷宮

◇七夕

◇観月讃仏会

 



古都燈花会

奈良は京都とならぶ古い都で、京都に対して南都とよばれます。その奈良の夜に、8月の10日間蝋燭の灯が花を咲かせます。この「なら燈花会」は1999年に始まり、期間中奈良公園とその周辺各所で燈花が開きます。「燈花」とは、灯芯の先にできる花の形のかたまりです。写真左上は猿沢池の、写真右下は浮見堂の燈花です。

 奈良には、父が進駐軍の通訳をしていた関係でよく連れて行ってもらいました。学生時代もよく行きましたが、広大な奈良公園とその周辺の雰囲気は以前と全く変わっていません。変わった点といえば、昔に比べて外国人が増えたことぐらいでしょうか。1300年前に都として栄えた奈良、これからも今まで通りの奈良であることを願います。

 


三伏南都日暮時 三伏(さんぷく)南都(なんと) ()()るるの(とき)

深林幽径鹿園奇 (しん)(りん) 幽径(ゆうけい) 鹿(ろく)(えん)()なり

清風蕭颯垂楊岸 清風(せいふう)蕭颯(しょうさつ) (すい)(よう)(きし)

映水燈花連玉池 (みず)(えい)じて (とう)()(ぎょく)()(つら)なる

(註一) 三伏=夏の最も暑い時期

(註二) 蕭颯=風がさっと吹くさま

            平成二十九年八月  光琇



芥川鯉幟祭

429日に、芥川桜堤公園で「第26回こいのぼりフェスタ1000」が開催されました。名前の通り、1000匹の鯉のぼりが大空を舞います。この催しは、子供たちが健やかに育つことを願って、高槻の都市シンボルである芥川の河川愛護を目的に、平成4年から開催されています。鯉のぼりは、家庭で使わなくなった鯉のぼりの寄贈や幼稚園児の手作りのものが使われています。

フェスタでは親子連れが多く、子供たちが鯉のぼりの下で大はしゃぎしていました。少子高齢化社会では、老人の福祉も大事でしょうが、もっと大事なことは、今後この国を支えてくれる子供たちの育成をサポートすることです。

 

端午江辺新緑調 端午(たんご) (こう)(へん)新緑(しんりょく)調(ととの)

悠然隔水鯉風飄 悠然(ゆうぜん)たり (みず)(へだ)(こい)(かぜ)(ひるがえ)

男児簇簇可憐夢 男児(だんじ)簇簇(そうそう)たり 可憐(かれん)(ゆめ)

笑語欣欣度碧霄 笑語(しょうご)欣欣(きんきん)として 碧霄(へきしょう)(わた)

(註一) 鯉幟=こいのぼり

(註二) 簇簇=むらがり集まるさま

(註三) 欣欣=よろこび楽しむさま

             平成二十九年五月  光琇



賀茂曲水宴

桜花時節社祠頭 桜花(おうか)時節(じせつ) (しゃ)()(ほとり)

曲水泛杯琴韻周 (きょく)(すい) (はい)(うか)(きん)(いん)(めぐ)

往古雅懐披講宴 往古(おうこ)()(かい) 披講(ひこう)(えん)

独催感慨凝吟眸 (ひと)感慨(かんがい)(もよお)(ぎん)(ぼう)(こら)

(註一) 社祠=土地の神、またそのやしろ(ここでは上

        賀茂神社をさす)

(註二) 披講=詩歌などの会で、詩歌を読み上げること

           平成二十九年四月  光琇


 

 47日に京都の上賀茂神社に行くと、境内も賀茂川の岸辺も桜が満開でした。ちょうどその日は、境内の庭園(渉渓園)で、平安時代の優雅な貴族の遊びを再現した賀茂曲水宴が催されていました。曲水宴では、曲水の傍に何人かの歌人が座り、上流から流れてくる杯が自分の前を通り過ぎるまでに和歌を創作します。そしてその和歌は、琴の流れる中で朗詠されます。

 平安時代のこの優雅な遊びは、353年に中国の紹興にある蘭亭で催された曲水宴に由来しています。そのときには37首の詩が詠まれ、書家の王羲之がその序文(蘭亭序)を書きました。なお、蘭亭は現存していますが、蘭亭序は唐の太宗が崩じたときに陵墓に埋められたといわれています。


松尾大社節分祭

松尾大社は、京都の洛西に位置する古い神社です。社殿建立の飛鳥時代のころに初めてこの場所に祀られたのではなく、それ以前に住民が生活の守護神として尊崇したのが始まりといわれています。年中行事の一環として、23日に節分祭が行われ、神社の庭に設けられた舞台で島根県益田市の種神楽保存会による「石見神楽」が催されます。鬼退治やヤマタノオロチ退治などは熱気があふれ、その迫力は写真からでも伝わってくると思います。この神楽は、無形民俗文化財に指定されています。

節分の翌日は立春です。以前は季節の変る日の前日が節分で、年4回あったようですが、今では立春の前日だけをさすようになっています。23日、松尾大社に到着した9時過ぎには人はまばらでしたが、神楽が始まる10時には人であふれかえり写真撮影には苦労しました。

軽煙揺漾洛西隈 軽煙(けいえん) 揺漾(ようよう) (らく)西(さい)(くま)

舞楽盛観壇上開 舞楽(ぶがく) 盛観(せいかん) 壇上(だんじょう)(ひら)

鼓声流処払邪鬼 鼓声こせいながるるところ じゃはら

佳日先知節気回 佳日(かじつ)()知る() 節気(せっき)(めぐ)るを

(註一) 揺漾=ゆらゆらと漂うさま

(註二) 節気=二十四節気

            平成二十九年二月  光琇



茨木花火大会

暮雲漂處夕陽収 ()(うん)(ただよ)(ところ) 夕陽(せきよう)(おさ)まり

夜熱追涼上小丘 ()(ねつ)(りょう)()小丘(しょうきゅう)(のぼ)

煙火如花接天發 (えん)()(はな)(ごと)(てん)(せっ)して(ひら)

漢星點滅入双眸 (かん)(せい)点滅(てんめつ) 双眸(そうぼう)()

(註一) 煙火=花火

(註二) 漢星=天の川

          平成二十七年八月  光琇

 パッと咲いてサッと散る花火、これなしに日本の夏は語れないといっても過言ではないでしょう。中国語辞典で「花火」を引くと「煙火」と出てきますが、「煙火」を漢字源で引くと「飯を炊く時の煙」「のろし」と出てくるので、中国では花火の歴史は浅いのでしょう。唐詩で「花火」をテーマにしたものは見たことがありません。

 茨木市の花火大会の正式名称は「辯天宗夏祭奉納花火大会」です。家の近くの小高い丘に上れば見えるので、3年ほど前に孫に見せてあげました。50年以上も続いている行事のようでが、2015年は中止になりました。13年の福知山花火大会の火災事故が関係していると思われます。枚方市の「くらわんか花火大会」も財政難から中止になりました。花火は日本人の元気の源なので、両方とも復活してほしいものです。

 



天神祭船渡御

三伏水都灯影充 三伏(さんぷく)(すい)()灯影(とうえい)()ちて

斉船渡御大江中 (せい)(せん)渡御(とぎょ)大江(たいこう)(うち)

幾千煙火逼天上 (いく)(せん)煙火(えんか) 天上(てんじょう)(せま)

雅楽神鉾舞晩風 雅楽(ががく) (しん)(ぼう) 晩風(ばんふう)()

(註一) 三伏=夏の最も暑い時期 

 (註二) 大江=大阪市の都心を流れ天神祭船渡御の舞台となる大川(おおかわ)をさす 

(註三) 煙火=花火 

                         平成二十五年八月  光琇

 大阪の夏の風物詩は何といっても日本三大祭りのひとつである天神祭でしょう。天神祭は大阪の祭りだと思っていたのですが、ウィキペディアを読むと、「日本各地の天満宮(天神社)で催されるお祭りのことで、大阪の祭りが有名である」となっていました。暑さのピークの724日に宵宮の行事として行われる船渡御(ふなとぎょ)では、100隻の大船団が大川を航行します。そして暗くなると5000発あまりの花火が打ち上げられ、宵宮のピークをむかえます。

 私は中学・高校が大川の近くだったこともあり、昔はよく見物に行きました。最近は、あの満員電車のような人ごみのせいか、高齢のせいかはわかりませんが、ご無沙汰しています。2013年も行けなくて名残惜しかったので、詩を作って自らを慰めることにしました。写真の花火は、4年後に桟敷席から撮影したものです。

 



伊勢式年遷宮

鬱蒼老樹浄無塵 

淑気蓬蓬自有神 

迎就遷宮傳統式 

千秋護持殿堂新 

 

 

鬱蒼(うっそう)たる老樹(ろうじゅ) (きよ)くして(じん)()

(しゅく)()(ほう)(ほう) (おの)ずから(かみ)()

(むか)()遷宮(せんぐう) 伝統(でんとう)(しき)

千秋(せんしゅう)護持(ごじ)して 殿堂(でんどう)(あらた)なり

 

(註一) 淑気=穏やかでさわやかな気配 

(註二) 蓬蓬=もくもくとわきあがるさま

 

       平成二十五年七月  光琇

 

 伊勢神宮では20年に一度、社殿を建て替えて神座を遷す式年遷宮が行われます。690年に第一回の遷宮が行われて以降1300年以上も続く壮大な儀式で、2013年は、第62回式年遷宮が行われました。20年ごとに遷宮が行われる理由はいろいろ言われていますが、土木技術者である私は、あまり間が空くと技術の伝承に支障をきたすという理由を重要視しています。技術伝承は直面している現実的な課題だからです。

 近鉄電車を乗り継いで伊勢神宮を訪れたのは、夏真っ盛りの7月です。伊勢市駅から外宮(げくう)までほとんど日陰がなかったので、ほんの10分が長く感じられました。すでに新しい神殿は建造されており、10月に行われる神体の渡御(とぎょ)を待っている状態でした。外宮の入り口を入ったところに、神宮と遷宮をわかりやすく伝えるための「せんぐう館」が設けられています。

 



七 夕

良宵仰看鵲橋邊 (りょう)(しょう) (あお)()(じゃっ)(きょう)(へん)

燦燦銀河横満天 (さん)々たる(ぎん)() 満天(まんてん)(よこた)

織女隔年思慕極 (しょく)(じょ) (とし)(へだ)思慕(しぼ)(きわ)まるも

逡巡霄漢渡江煙 逡巡(しゅんじゅん)(しょう)(かん) (こう)(えん)(わた)るを

(註一) 鵲橋=七夕の夜に牽牛と織女を逢わせるた

     め、かささぎが翼を並べて天の川にかける

     という橋

(註二) 逡巡=ぐずぐずしてためらう  

(註三) 霄漢=はるかな大空 

(註四) 江煙=川にかかるもや  

          平成二十四年七月  光琇

 七夕(たなばた、しちせき)は、日本だけではなく中国、台湾、韓国、ベトナムでも節句になっているようです。もともとは中国での行事であったものが、奈良時代に日本に伝わってきたと言われています。七夕祭りは77日の夜が標準ですが、仙台のように月遅れで行われているところもあります。

 牽牛と織女は天の川で隔てられており、1年に1度しか川を越えて会うことが許されていません。このチャンスを逃すとまた翌年まで逢えなくなるので、夜になるとカササギたちは翼を並べて天野川に橋を架け、牽牛と織女のデートを支援します。この詩に対して、ある詩人から「織女がなぜ逡巡する(躊躇する)のか、詩からわからない」というメールがきました。「女性の側から逢いに行くというのはやはり躊躇するのではないですか。(軽く見られたらいけないし、逢ってもらえないかもしれないし)」と返信しておきました。織女は牽牛に片思いという説もあり、そうであれば猶更のこと逡巡するでしょう。



観月讃仏会

 多くの苦難の後に来日を果たした鑑真和上が、759年に戒律を学ぶ人たちのための修業の道場を開いたのが唐招提寺です。中秋の名月の夜、この世界遺産の境内で観月讃仏会(かんげつさんぶつえ)が催されます。その夜は金堂が開扉され、ライトアップされた三尊が浮かび上がり、幻想的で荘厳な雰囲気を醸し出します。 

私が唐招提寺を訪れた中秋の名月の夜は、残念ながら曇り空で、満月がなかなか顔を出してくれませんでした。ライトアップされた三尊を拝みながら待つこと1時間、やっと雲の隙間からわずかに満月が顔を出した時には、拝観者からどよめきが起こりました。詩の中では、「その時に、どこからともなくお寺の鐘が聞こえてきて、その音の響きでお月様がかすかに揺れたような気がした」としましたが、想像がたくましすぎたかもしれません。

 

中秋遙夕在西京 中秋(ちゅうしゅう)(よう)(せき) 西京(さいきょう)にありて

古刹寂寥遺世情 古刹(こさつ)寂寥(せきりょう) 世情(せじょう)(わす)

三佛荘嚴浮夜燭 三仏(さんぶつ)荘厳(そうごん) 夜燭(やしょく)()かび

雲間皎月搖鐘聲 雲間(うんかん)(こう)(げつ) 鐘声(しょうせい)()るぐ

   (註一) 観月讃仏会=奈良市西ノ京の唐招提

       寺における中秋の名月の夜の催し 

    (註二) 遥夕=長い夜

             平成二十三年九月